吹奏楽 マーチング ダンシング

パフォーマンスで、感動を共有できることは、、、幸せだ

吹奏楽部 MEMORIES

『インデックス』 吹奏楽部 MEMORIES *

hi-hat1955.hatenablog.com hi-hat1955.hatenablog.com

連載 吹奏楽部 MEMORIES 16

トロンボーンの家に着くと、、、閑静な住宅地に建つ立派な家だった。 彼の部屋に入ると、大きなオーディオが壁際に置いてあった。見たことのないメーカーだった。 彼は、「なんか、レコードを聴く?」 ラックのなかに、LPレコードが五十枚ほど並んでいた。 …

連載 吹奏楽部 MEMORIES 15

ビートルズがやって来た。「ビートルズ日本公演」である。 昭和41年のことだ。 私は小学校六年生だった。 私は、まったく関心がなかったが、、、マスメディアの威力は凄まじい。 クラスの女の子達の話題は、ビートルズ一色になった。 ブームがブームを呼んで…

連載 吹奏楽部 MEMORIES 14

今回はつまらないことを、詳細に書こうと思う。。つまらない事とは、自分のことである。 まぁ。。。音楽脳とか、JAZZの基本などにも触れるので、、、 多少は期待してもらっても良いかもしれない。。。 私の家に、ポータブルステレオが届いた。 いまから、五…

連載 吹奏楽部 MEMORIES 13

吹奏楽の女の子は、、、小柄で華奢な子が多い。 そして、次に多いタイプがポッチャリである。 これは、女子にかぎらず、男子もある程度はそうだった。本人達に確認したことがないので、、、 これは、私の偏見かもしれないが、、、 運動に自信がない子が多い…

連載 吹奏楽部 MEMORIES 12

顧問のテノールは、、、 生徒の自主性を、最優先するという哲学をもっていた。 部活の運営はもちろん、楽器や楽譜の購入まで、部長と副部長に任せていた。 だから、コンクールに関すること以外は、、、 口を挟まないどころか、全体練習やパート練習にも、テ…

連載 吹奏楽部 MEMORIES 11

私にとっては、最後になる文化祭。。。 残すイベントは、文化祭だけになった。 文化祭の準備は、夏休みから計画的に少しずつ行ってきた。 他のイベントの合間に、地道に努力をしてきたのだ。 しかし、毎年の事ではあるが、、、 本当に、こんな状態で間に合う…

連載 吹奏楽部 MEMORIES 10

今回は、ピッコロについて。。。 楽器のピッコロフルートではなく、、、 ピッコロというニックネームで呼ばれている女の子である。 Marianna Żołnacz - SEVERIO MERCADANTE Koncert e-moll III część „Rondo russo” https://www.youtube.com/watch?v=gy3dHii…

連載 吹奏楽部 MEMORIES 9

知り合いからメールが来た。 「本筋から外れている下書きは、使わずに、ハードディスクに残っているはず。溜めておくと、ハードディスクが腐るぞ。全部、吐き出せ。」 この知り合いが言いたいことは、「吹奏楽部MEMORIES」の続きを書け、 ということであるが…

連載 吹奏楽部 MEMORIES 8

ピッコロは関西には行っていなかった。 特待生の道を選んではいなかったのだ。 それどころか、、、進んだ先は、吹奏楽の弱い、地元の進学校。。。 そんな、うわさは聞こえてきていた。 何を考えて、そのようにしているのかは分からないが、音楽の修行は何ら…

連載 吹奏楽部 MEMORIES 7

音楽室の、いつもサックスパートが展開している辺りに座り、スコア(フルスコア・総譜)を広げた。 そして、ステージに設置してあるオーディオで、LPレコードをかける。 サックスパートのまん中の辺りが、左右の音のバランスが良く、スッキリした音質でもあり…

連載 吹奏楽部 MEMORIES 6

文化祭が終わり、三年生が卒部した。 この時期は吹奏楽部が、もっとも、弱体化する時期だ。 特に、この年のフルートパートは大変だった。 三年生が二人抜けて、残ったのが二人。 この二人の苦闘は、翌年の夏まで続いた。 ピッコロ担当の一年生は、欠員対策で…

連載 吹奏楽部 MEMORIES 5

毎年、夏休みの前にリーダー会議が開かれる。 出席メンバーは、部長、副部長、指揮者兼DM(ドラムメジャー)、各パートリーダー、各パート副リーダーである。 パーカッションは三年生が一人なので、二年生の私が副リーダーだった。 夏のリーダー会議のねらい…

連載 吹奏楽部 MEMORIES 4

私は、個人練習で屋上にいた。 いつも、天気の良い日は、パーカッションパートが屋上を独占している。 通常だったら、そろそろ、パート練習の時間であるが、、、 今日は、パート練習がないので、引き続き二年生だけで個人練習を続けることになっている。 音…

連載 吹奏楽部 MEMORIES 3

「ピッコロとパレード」を読んだ知り合いから、「ブログ。短すぎ!」という指摘をいただいた。 指摘そのものが「短すぎ」だと思ったので、「どこが?」と聞くと。。。①どうやって小学生が、そのようなピッコロのワザを身に付けることが出来たのか。②優れたワ…

連載 吹奏楽部 MEMORIES 2

五十年前の、我々が中学生の時代は、吹奏楽部の男女比率は同じぐらいで、木管は女子で金管が男子。 そして、打楽器も男子という編成が多かった。 まれに、ユーフォ(ユーフォニアム・ユーフォニューム)を女子が担当することもあったが。。。 新入部員は最初…

連載 吹奏楽部 MEMORIES 1-ピッコロとパレード

私が中学二年生で、吹奏楽部では中堅として活動し始めた頃。 これは、五十年前の話である。。。 ステージが終わって幕が降りた。 いつもなら、楽器や譜面台を、あわただしく、ステージから片づけるタイミングなのだが、、 この日は、異変がおきていた。 フル…