吹奏楽 マーチング ダンシング

パフォーマンスで、感動を共有できることは、、、幸せだ

連載 吹奏楽部 MEMORIES 8


  

ピッコロは関西には行っていなかった。 特待生の道を選んではいなかったのだ。

それどころか、、、進んだ先は、吹奏楽の弱い、地元の進学校。。。 そんな、うわさは聞こえてきていた。

 

何を考えて、そのようにしているのかは分からないが、音楽の修行は何らかのかたちで続けていくのだろうと思っていた。

 

しかし、違っていた!

 

このことを知ったのは、、、 中学校時代のトランペットリーダーの、夜遅くの電話だった。

 

彼は、、、「ピッコロは、、、 もう、音楽には関わらないんだと。。。 音楽は、もう、やらないって。。。」

 

電撃が、全身を走り抜けた!

 

「何が、あったんだ!」

 

「分からない。 最初は、 親の方針かと思ったけど、、、 ピッコロと仲良しだった子に聞いたら、本人が自分で決めたと言っている。理由は、今は言いたくない。ということだそうだ。」

 

なんたることだ。。。 ピッコロは、どうなってしまったのだろう。。。

 

しかし、本人が決めたのなら、、、 どうにもならない。  我々が、とやかく言うことではない。 そして、何があったのかは、本人にしか分からないのだ。

 

何か、とてつもない理由があることだけは分かる。

心配であるが、、、 いずれ、情報が入るだろう。。。

 

しかし、、、 しかし、、、

しかし、、、 いつまでたっても、何の音沙汰もなかった。

 

そのうち、、、

世の中には、こういう事もあるのだろうと、 ただ、ただ、起きた事実を認めるしかなくなっていた。

 

きっと、私は、永久に真相を知ることはないだろうと思った。

 

そして、、、 五十年近くの年月が流れた。

 

 

先日、、、

 

このブログが、縁となって、、、 ピッコロ本人からメールが届いた。

 

そこには、全てのいきさつが書かれていた!

 

 The Hobbit - Misty Mountains Cold on STL Ocarina

https://www.youtube.com/watch?v=1DHecFcDhbw

www.youtube.com

 

ピッコロが、中学校の吹奏楽部に入ったのを契機に、祖父の日曜レッスンは終了した。

祖父から、吹奏楽部にバトンタッチだ。

我が吹奏楽部には、彼女に技術的な指導をする力はなかったが。。。

 

しかし、朝の走り込みと夜の腹筋・背筋運動は、続いていた。 小学校三年生から、走り込みは、雨や雪の日を除いて毎日になっていた。 

 

走り込みは、毎朝、祖父と一緒だった。

距離は1㎞だったが、後半の方で、25mの全力のダッシュが2回ある。 まるで、自衛隊のレンジャー訓練のような走り方だ。

 

ピッコロが、中学生になっても、、、 全力ダッシュでは、祖父についていけなかった。 本当に、強健な人であった。

 

しかし、二年生の冬、、、 祖父が、走り始めてすぐに、胸を押さえて動けなくなってしまった。 顔色が悪く、、、 声を出すのもつらいほどの痛みである。

 

ピッコロは、この、普通ではない異変に、躊躇せずに救急車を呼んだ。

 

心臓病であった。 

祖父は、、、 激しい運動を、医師から禁じられた。 この時から、一緒に走ることが出来なくなってしまった。

 

しかし、ピッコロは毎朝、一人で走った。 雨の日も雪の日も!

 

ピッコロは、、、 毎日走っていれば、また、祖父が元気になって、一緒に走ってくれるような気がしていたのだ。 

 

だから、一日も休めなかった。

 

しかし、ピッコロが毎日走ったところで、良くなるわけがない。

 

彼女が三年生の初夏には、発作を繰り返すようになってきて、、、

夏休みには、亡くなってしまった。

 

彼女は、、、 老いと病気と死の現実を目撃し、体験した。

病気と死が存在することを、本当に実感したのだ。

 

大切な人が、奪われてしまった。

なのに、何もできなかった。

 

彼女は思った。。。

どうして、人はこんなにひどい目にあうのだろう。 何も悪いことはしていないのに。。。

 

強大で絶対的な自然の摂理の前では、人は無力であることを知った。

 

人を幸せにできる。 そういう演奏を目指して修行してきた彼女であったが、、

音楽で人の心や体を癒やせたところで 、 最後に人は、、、 自然の摂理に飲み込まれてしまう。

 

彼女のまわりには、このことを理解しあえる仲間はいなかった。

人は、本当の意味では、体験したことしか理解できないのだ。

 

だから、だれにも相談しなかった。

 

自然の摂理に、少しでも対抗できる方法 。 それは、今まで歩んできた道ではない。

 

彼女は、一人で決意した。

 

医師になる!

 

決意した、その日から、、、 走り込みと、筋力トレーニングはやめた。

そして、残りの吹奏楽部の活動と、受験勉強に全力をそそいだ。

 

春には、目指していた進学校に入ったが、、、 吹奏楽をやりながら医大に合格する自信はなかった。

 

ピッコロは、、、 何を捨てて、何を取るのか、よく分かっていた。 

 

彼女は、音楽を捨てた。。。

 

金メダルを獲得したアスリートよりも、家族のため、世のため人のために、アスリートの道を断念した人の方が立派である。。。

 

彼女は、正に、そういう人であった。

 

 

Laura Wright - The Last Rose Of Summer 

https://www.youtube.com/watch?v=LqtSmj7zxmw

www.youtube.com

 

 

ピッコロは、医大で医師免許を取得し、総合病院の勤務を経て、開業医となった。

 

今も現役で、、、 医師を続けている。

 

 

あの時、、、 音が出ただけで大好きになったフルート。。。

その定められた運命は、、、

祖父の愛情を触媒にして、、、 医師になって、多くの人々を救うことに昇華された。

 

 

ピッコロは、あたたかい家庭を築くこともできた。

 

彼女は、週末には家族アンサンブルを楽しんでいるそうだ。

 

彼女が担当する楽器は、、、 

ピッコロ、フルート、ピアノである。

 

 

思い出話に付き合ってくれて、、、 ありがとう。

 

 Dmitri Shostakovich: Waltz No. 2 - Carion Wind Quintet

https://www.youtube.com/watch?v=_2Y1hCgDvNE

 

忘れじの言の葉 full

https://www.youtube.com/watch?v=r1kSHo58zsM