吹奏楽 マーチング ダンシング

パフォーマンスで、感動を共有できることは、、、幸せだ

連載 吹奏楽部 MEMORIES 12

 

顧問のテノールは、、、 生徒の自主性を、最優先するという哲学をもっていた。

 

部活の運営はもちろん、楽器や楽譜の購入まで、部長と副部長に任せていた。

 

だから、コンクールに関すること以外は、、、 口を挟まないどころか、全体練習やパート練習にも、テノールが現れることはなかった。

 

しかし、吹奏楽部に何かあったときは、すぐ対応できるように、、、 出来るだけ、事務仕事をしながら職員室に待機していた。

 

日曜祝日でも、部長が職員室に鍵を借りにいくと、必ず、テノールの方が先に出勤していた。 そして、 簡単なミーティングが行われた。また、帰りに鍵を返しにいったときに、必要があれば、部長が報告等を行っていた。

 

御家族には、本当に、頭が下がる。 休日勤務手当ても、ほとんど貰っていなかったはずだ。

 

部活は、教育の一環と言われているが、教師の善意、、、 いや、犠牲の上に成り立っているのが実態だった。 まったく、制度的に無理があるのだ。

 

私たちの、五十年前の状況と今とでは、基本的には変わっていないように見える。 なぜ、改善されないのだろう。。。

 

Cobalt Sky March コバルトの空 - 海上自衛隊東京音楽隊   

私が中学生時代で、最も、演奏回数が多かった曲。一年生の時にシンバルから始まって、バスドラ、スネア、二年生の冬から指揮。パレードではスネア。

https://www.youtube.com/watch?v=mAMUkECRtzA

 

これは、 当時の私たちが、まったく知らなかったことであるが、、、

 

PTA総会の前の職員会議で、教頭から、

「PTAの役員の中から、、、吹奏楽部は、ほかの中学校のように、コンクールを中心にした活動に切り替えて、マーチングの活動は控えた方が良いのではないかという意見が出されている。」

という発言があったそうだ。

 

ほかの中学校みたいに、座奏中心にしろということだ。

 

人と違うことをすると、違和感をもたれる。 よくあることだ。

 

今では、マーチングが盛んになってきているが、当時は座奏のコンクールしかなかった。

だから、マーチングを取るかコンクールを取るかという議論になってしまう。

 

テノールは、、、 マーチングよりコンクールを中心にしたいと考えている部員など、一人もいないことを把握していたので、、、

 

「地域の人達のために、たとえ、一年に一度でも、マーチングを続けたいという生徒達の自主性は尊重しなければならない。」と押しきった。

 

「地域の人達」を、おかずにしているような気がしないでもないが、まぁ、大人の会話、、、ということである。

 

教頭は、、、 PTA総会で、直接、顧問のほうから説明してほしい、、、ということで、職員会議をおさめた。

 

PTA総会では、、、

「生徒の自主性を尊重することは、校長も重視していることであって、地域のために尽くしたいという生徒の心を大切にしていきたい。」と、説得してしまった。

 

「校長の、自主性を尊重」という、建前を勝手に使うとは、かなり面の皮が厚いが、、、 「地域に尽したい」という言い方はすごい。

 

これに反対したら、地域と子供達の敵になってしまう。

 

ものは言い様というが、、、 テノールは、ディベートの天才である。

 

このようにして、我々はいつもテノールに守られていた。

 

しかし、何でもそうだが、、、 同じことがいつまでも、永遠に続くなんてことはない。

 

エル・キャピタン(J.P.スーザ):陸上自衛隊中央音楽隊 HD

https://www.youtube.com/watch?v=4AQEN42DHVI

 

それは、、、

私が卒業して、、、 

 

ピッコロの学年も卒業した、翌年におきた。

 

テノールが人事異動で、ほかの中学校に転任したのだ。

 

普通は、次の顧問に申し送り、引き継ぎをするのだが、、、

次の顧問は、主婦先生であった。

 

テノールと、同じことができるわけがない。

 

校長や教頭も、主婦先生を顧問にするしかなかったのだろう。

 

このことによって、、、 

我が吹奏楽部に、「大変革」がおきた。

 

ひとつは、、、

また、座奏バンドに方向転換しろという論議が蒸し返されたのである。

 

顧問は、部員達の気持ちは知った上で、座奏バンドに方向転換した。

 

こんな事になってしまったのは、それなりの事情と経緯があったのだ。

 

このころは、部員数が最も多かった時期で、楽器が不足していた。

 

コンクールを見に行ったPTAの役員は、我校の一年生たちが、メッキが剥がれたり、ベコベコにへこんだりしている、修理出来ていない楽器を使っているのを見て、大変、心を痛めたのだそうだ。

 

コンクールの賞を取ったことのない、我が吹奏楽部は、PTA予算を抑え込まれていたのだ。

 

そして、このPTA役員は、ほかの学校と、使っている楽器のタイプが違うことも気がついた。

 

一番、目を引いたのは、マーチング用のスーザフォンだった。 よそのバンドは、コンサート用のチューバを使っていた。

 

一目みて、スーザフォンのほうが安っぽく見える。

 

そして、ホルンである。

我々のバンドは、重さも軽くて、少し輪郭のはっきりした音のメロフォンを使っていた。 マーチングには、都合が良いのだ。

 

しかし、コンクールで、ほかの学校はフレンチホルンを使うことが普通であった。

 

メロフォンとフレンチホルンは、形は似ているが、素人目にみても高級感がまったく違う。

 

PTA役員は、、、 マーチングのせいで、子供たちが恥ずかしく惨めな思いをしているのだと、思い込んでしまったようだ。

 

赴任したばかりの顧問は、責められた。

「子供たちが、可哀想ではないか!」という論法で。。。

 

顧問は、困ってしまって、、、

コンサート用の、高価な楽器が買ってもらえる、稀なチャンスなのだと、部員達を説得しようとしたが、、、 こんな、ずれた理屈で納得するわけがない。

 

最後には、、、

「マーチングはやめなさい。お願いだから。。。」と泣き出してしまったそうだ。

 

顧問が変わると、こんなにも違ってしまうものなのだ。

 

きっと、テノールだったら、、、

部員達が知らないうちに、、、

マーチングを続けることを、学校とPTAに納得させた上で、コンサート用の楽器も確保したに違いない。

 

不本意ではあったが、、、

我が吹奏楽部は、座奏に進路変更する事と引き換えに、「コンサート楽器導入十ヶ年計画」を手に入れたのである。

 

しかし、ふたつめの「大変革」によって、コンサート楽器導入計画は、四年で完了してしまった。

 

ふたつめの大変革とは、、、

日曜祝日の練習は、主婦先生には責任が持てないということで、なくなってしまったことだ。

 

なくなったこと自体は、致命的ではなかったのだが、、、

 

部員達は、楽器の持ち出し許可を取って、日曜祝日は持ち帰って練習するようになった。

 

吹奏楽の楽器は、大きな音がするものばかりだ。 住宅事情の許される家は少ない。

 

男子は山のなかに行って練習したり、女子は押入れの中に、扇風機を持ち込んで練習した。

 

しかし、この熱意が裏目に出てしまったのだ。

 

吹奏楽部に入ると、山の中や押入れの中で、練習させられると、ウワサが広まってしまった。

 

そして、新入部員が、激減してしまったのだ。

 

三年後には、、、 楽器倉庫の70%が、長期保管コーナーになってしまったそうだ。

 

人員が減ってしまったので、コンサート用の楽器も、四年で揃ってしまったということだ。

 

可哀想だったのは、部員だけではなかった。

 

顧問の主婦先生は、音大のピアノ科の出身で、吹奏楽の経験がなかった。吹奏楽部の顧問の経験もなかった。

 

要するに、吹奏楽のことは聞きかじった程度で、何も分からないのだ。

 

それでいて、初めての中学校に来たとたんに、顧問をやらされて、、、

そして、PTAから責められて、、、

家庭の主婦でもあり、、、

 

そして、、、 吹奏楽部の規模が、三年間で三分の一に激減してしまったのは、顧問が変わったからだ。 と、評価された。

 

針のムシロに座らされているような気分だっただろう。

 

制度的に改善されない限り、このようなことは繰り返されるのだと思う。

 

その後、少子化も進み、吹奏楽部の規模が元に戻ることはなかった。

 

 バーデンヴァイラー行進曲(G.フュルスト):陸上自衛隊中央音楽隊 HD

私が、最も、好きな行進曲。この指揮者だったら、ぜひシンバルをやりたい。チャイナシンバルを、思い切り鳴らせという指揮者はめったにいないだろう。

 

https://www.youtube.com/watch?v=fGq1rrUkxFQ

 

私が卒業して二十年後・・・

 

近所の中学生に声をかけられた。

「おじさんは、吹奏楽やってたんだってね。」

「ああ、二十年も前のことだよ。吹奏楽部なのか?」

トロンボーンやってます。 前から聞きたいと思ってたんだけど、楽器倉庫の奥に古いマーチングスネアがあるんだけど、おじさんの頃は、マーチングもやったんですか?」

「懐かしいな。。。 俺が使ってたスネアだと思うよ。 マーチングもやったのではなくて、マーチングバンドだったんだよ。」

「そうなんだ! 顧問の先生が、大学でマーチングのパーカッションだったんですよ。 これを聞いたら驚くと思う。」

 

中学生はうれしそうだった。

 

たった二十年で、そんなことも忘れられてしまうのだ。。。

中学生の部活は、新陳代謝が激しいということだ。

 

今は、、、 五十年もたっている。

 

我々の、痕跡は、、、 かけらも残っていないだろう。。