吹奏楽 マーチング ダンシング

パフォーマンスで、感動を共有できることは、、、幸せだ

連載 吹奏楽部 MEMORIES 3

「ピッコロとパレード」を読んだ知り合いから、「ブログ。短すぎ!」という指摘をいただいた。
指摘そのものが「短すぎ」だと思ったので、「どこが?」と聞くと。。。

①どうやって小学生が、そのようなピッコロのワザを身に付けることが出来たのか。

②優れたワザを持った彼女が、その後、どうなっていったのか。

これらのことが気になって、妄想にさいなまれて夜も眠れない。
とのことだった。
彼の場合、夜眠れない分は昼間に眠っていると思うので、心配はしていないが。。。


そうは言うものの、「ピッコロとパレード」を読んでいただいた人たちが、皆、眠れないとしたら、国家的な損失になりかねないので、、、「ピッコロとパレード」の続きを書くことにした。

そして、「短すぎ」ということなので、、、
今までのように、仕上がった下書きを、、、 長くなりすぎないように半分ほどに削除するような作業はしないことにする。


しかし、このたびの内容は彼女の個人的なことに関わるので、私が勝手に公開してしまうわけにはいかない。
実は、個人的なことを公開するどころか、私は実際、それらのことを知らないのだ。

正確にいうと、、、

「どうやってワザを身に付けたのか」は、私が二年生の4月に、彼女が入部してきた時に、三年生から聞いた話だけで、いわゆる「又聞き」で事実確認ができていないのだ。 「彼女のその後」については、ほとんど知らない。


私は、中学校を卒業した3月の中旬には、入学予定の高校の吹奏楽部に入部していた。 そして、新入生歓迎会や部活紹介のステージで、早々と演奏していた。

この時期の私は、前しか見ていなかった。
だから、中学校を振り返ることはなく、彼女のことを思い出すことも一年間はなかった。。。 一年後に電撃が走るのだが、、、 それは、後の話。。。


中学の吹奏楽部時代、私は彼女と特別に親しかったわけではなかった。 私と彼女は、吹奏楽部の中の実務的な会話だけだった。

こう言うと、吹奏楽部を知らない人たちにとっては意外なのではないかと思う。 「心をひとつにして、ハーモニーを奏でているのが、吹奏楽ではないか。実務的な会話だけでは、だめだろう!」

そのとおり! ごもっとも。。。

しかし、吹奏楽は忙しい! 常に、すべての部員が、一人ひとり、目の前の目標にむかって努力を続ける。 それを達成すると、また、次の目標が現れる。 一年中、これの繰り返しだ。 
下校時間になると、容赦なく学校を追い出される。 個人的な、身の上話をしている暇などない。
 
同じパートのなかでは冗談を言い合うこともあるが、私はパーカッションパートで、彼女はフルートパート。 学年も違うし、男女の違いもある。 
そして、部活の後の帰り道も、反対方向であった。
恋愛関係でもない限り、親しくなりようがなかった。

ではあるが、「どうやってワザを身に付けたのか。二年生の4月に、三年生から又聞きした話」は、、、
本当に意外なことであった。
私自身も、このことは、ぜひ事実確認をしたいと思った。

そんなこともあって、、、 ダメもとで、彼女に連絡を取ることにした。 事実を公表する許可をいただく方向で。。。


幸いにも、彼女と同学年の後輩と連絡が取れる。 彼を通じて、このプロジェクトを進めることができた。 
しかし、彼も五十年近く、彼女とは音信不通であった。 彼は、かなり苦労したようだが。。。

三週間後に、彼女からメールが届いた!

私にしてみれば、奇跡が起きたような心境だった。 本当に、うれしかった。。。
彼の、苦労に感謝する!

よかった。。。 「吹奏楽部 MEMORIES 1 - ピッコロとパレード」をはじめ、ほかのブログも、彼女に気に入ってもらえた!

当事者以外には、個人が特定されないことが条件で、事実の公表の許可をいただいた。
それどころか、なんと! 五十年来の謎も解明することができたのだ。 これがまた、感動的なものだった。 ひろく公表すべきことだと思う。

それから、、、 彼女から「大変、お世話になった先輩たちのことも書いてほしい」と。。。
ブログが長くなってはいけないと思い、しかたなく削除した部分に書いてあった。


というわけで、話は五十六年ほど前までタイムスリップする。


Фле́йта-пи́кколо (piccolo flute)
https://www.youtube.com/watch?v=tw3jsT47-1A


幼稚園児の彼女は、母親に連れられてピアノ教室にいった。 
その日から週に2回、小学校6年生まで通い続けることになる。 彼女は、ピアノ教室を好きではなかったが、6年生までやめることは許されなかった。

小学1年生のある日、退屈なピアノ教室の待ち時間に、彼女は、となりの部屋のドアを開けてしまった。 すると、小学校の高学年くらいのお姉さんたちが、フルート教室を受講していた。

フルート教室の先生は、笑顔で手招きをして部屋に入れてくれた。 
そして、フルートを吹かせてくれた。 最初は、なかなか音が出なかったが、音が出ると彼女はうれしさのあまり、本当にスキップしてしまったそうだ。

まさに、最初の、カナリアのスキップである!

彼女は、フルートを大好きになった。
音が出ただけで大好きになる。。。 運命というものが定められたものなら、これがそうかもしれない。

母親にお願いして、、、 ピアノが週2回にくわえて、フルート教室に週に1回通うことになった。
しかし、小さな体にはフルートは大きかった。 廉価のピッコロを買ってもらった。

彼女はピアノとはちがって、、、 ピッコロの練習は楽しいので、毎日吹いていた。
そのことを両親から叱られた。 ピアノの練習をしないなら、ピッコロを吹いてはいけないと。。。

彼女は、ピッコロを吹きたいがゆえに、ピアノも練習した。

Barry McKimm: Concerto for Piccolo and Orchestra
https://www.youtube.com/watch?v=9kDtiNJHLTE



しかし、小学二年生になると、、、 両親が、ピッコロは吹いても良いが、今後は、ピアノ教室だけ、、、 フルート教室は打ち切りだと宣告された。

普通の親なら、妥当な判断である。 当時、コンクールがあるのか無いのか分からないピッコロよりも、ピアノコンクールの賞を期待する。。。 結局、彼女はピアノの賞には縁がなかったのだが。。。

彼女が、めそめそ泣いていると、、、 おじい様が、日曜日なら付き合ってあげると言ってくれた。

実は、このおじい様は、すごい人で、、、 戦前は、陸軍の中央の音楽隊でトランペット奏者だった人だ!

当時の、陸軍音楽隊といえば、吹奏楽のエリート中のエリートである。

彼女は毎週日曜日の午前中が楽しみになった。 ピアノで伴奏をしてもらえるのだ。 ミニアンサンブルである。
時には、ギターやマンドリンで伴奏をしてくれた。

そして、昼食の時間の前には、腹筋や背筋の運動。やはり専門家である。 さらに、いずれフルートを吹くことを想定したものだろうか、肺活量を増やさなければいけないと、、、 走り込み。。。 おじい様が一緒に走ってくれたそうだ。 さすがは、軍隊で鍛えた人である。 走っているときのおじい様は、まったく、高齢者感はなかったそうだ。

彼女は、やがて、はっきりした美しい高音を出せるようになってきた。すると、廉価の金属製のピッコロでは、耳障りな音で使い物にならなくなった。

そこで、おじい様が黒檀のピッコロを買ってくれた。 とても高価なものらしい。 そして、おじい様は右側の耳にだけ耳栓をするように勧めた。

ピッコロの高音は、遠くで聞くと美しく可愛い音だが、彼女のように本格的な音を出すと、、、 近くでは強烈だ!  ピッコロの右側には、とてもじゃないがいられない。 当然、本人の耳にも良くないだろう。

きっと、軍楽隊のように、行進曲主体のバンドでは、ピッコロがけっこう大きな音を出すので、耳栓が普通なのかもしれない。 おじい様は、この軍楽隊の経験から彼女に勧めたのだろう。 彼女は、中学の吹奏楽部在籍中は、練習中、常に、右耳だけ耳栓を使っていた。

小学校時代の彼女は、おじい様とのアンサンブルが大好きだった。 そして、ピッコロも、おじい様も大好きだった。


この、スーパーエリートに5年間鍛えられた彼女が、中学生となって我々の吹奏楽部に現れたのだ!
 
半端ではなかった。。。


さらに、つづく。。。


【ピッコロ&フルート】崖の上のポニョ / フルートアンサンブル / 演奏してみた / ジブリ / 大橋のぞみ / Flute / Piccolo / Ensemble / Ghibli / Ponyo
https://www.youtube.com/watch?v=WVB17O3LCLk
www.youtube.com