吹奏楽 マーチング ダンシング

パフォーマンスで、感動を共有できることは、、、幸せだ

連載 吹奏楽とロック 1

 

コンクール狙いに特化された吹奏楽部。。。  私は、その高校に入学した。

特化するということは、、、 他のことは、テキトーにやっておく、、、ということだ。 よその高校のことは知らないが、私のいた「特化」された吹奏楽部は、コンクール以外はテキトーだった。

たとえば、、、野球応援などは、はっきり手抜きである。

昭和四十五年当時は、、、 決勝戦に進みでもしない限りは、全校で一体になって応援をするようなことはなかった。夏の予選だけ、学年動員があっただけだった。

応援団は、、、 炎天下で、学ランを着て命がけの応援をしていたが、、、

吹部は、、、とにかく、野球場に行って、何曲かやってくればOKという感じで、、、ヒットや盗塁のときに、トランペットが突撃ラッパを吹くという程度だった。

みんな、早く学校に帰って、通常の練習に戻りたかったのだ。

だから、野球応援の練習もテキトーで、前日に、、
指揮者が、「今から、野球応援の練習をする。中庭に移動!」
8曲の予定なら、8枚の楽譜がその場で配られる。

一年生は、ほとんど初めての曲なので初見である。聴いたことのない曲もある。二・三年生だって、一年前に数回やった程度である。

だから、一回目はグダグダのフラフラであるが、、指揮者が「二回目で決めるぞ!」
それで二回目、、、 ほとんど、「決まる」わけがない。。

こんな感じで、全曲やっつけると、、、「中に戻るぞ~!」
一時間で、野球応援の練習は終わりである。
翌日の本番は、三回目であるから、まあまあの出来になっている。

野球が、二回戦以降に勝ち進んだ時には、練習はしない。 すでに、練習は済んでいるからだ。

「特化」しているので、、、 コンクールが終わると、三年生は事実上終わりであるから、ろくに個人練習もしなくなる。めずらしく、やっていると思ったら、定期演奏会のソロの部分だけ、、、 という程度である。

一人、、、 自衛隊の音楽隊を目指している三年生は、脇目も振らず基礎練習に没頭していた。もちろん、彼も定期演奏会は二の次であった。

こんな態度で定期演奏会をやるのだから、、、 普段は全然やらない軽音楽は、ノリがどうのというレベルまでいくわけがない。

軽音楽コーナーは、ポップス→ロック→ジャズ→ラテンの順で演奏を予定されている。

ポップス・ロック・ジャズは、三年生が交代でドラムスをやるだけなので、パーカスの一・二年生はラテンまで出番がない。 だから、パーカスの一・二年生は全体練習の時は、落ち着いて見学ができるのだ。

軽音ステージの曲順どおりに、練習が始まった。
最初はポップス。。。

指揮者が、「ロック系ポップスだから、、、 リズムのほうはエイトビートで。。。」

私は、、、そんなことで良いのだろうか、、、と思いながら見ていた。

そんなことでも、、、 鍛え上げた技術力である。あっという間に形になった。

しかし、私は、何か釈然としない。。。

ほとんどの部員が、これでいいと思っている。こういうものなのだと受け入れている。

ホールまで、足を運んで来てくれるお客さんに、「感動」してもらえるパフォーマンスを造り上げる。そういう会話もなければ、そういう意識もない。
どうしたら、今まで以上に「楽しんで」もらえるか、、、 まったく、そのような雰囲気はない。昨年と同じであればOKというだけなのだ。

私の好きなジャズのライブは、「感動」する演奏。ノリノリで「楽しい」高揚感をもらえるサウンドやパフォーマンス。それがあって当たり前なのだ。

私の中学時代の吹奏楽部でさえ、、、 どうやったらパレードを楽しんでもらえるかを、話し合ったものだった。

音楽する者の基本。。。
「音を楽しんで」もらえるように、努力する。

コンクールで賞をとって評価される。。。
それに特化したのはいいが、、、 基本が、どこかに消えてしまっていた。

コンクールに、全エネルギーを集中しているのは分かる。だから、他のことは余力でやる。

では、全力をそそいでいる、そのコンクール自体はどうなのか。。。
どうやれば、減点が少ないか、何が得点を稼げるポイントなのか。。。

それしかなかったような気がする。
私自身も、コンクールに関してはそうだった。

高得点の技術は、最終的には「感動」を造り出す優れた道具になるものなので、、、 それ自体が悪いと言っているわけではない。

聴く人に、感動してもらうために、日々、練習に打ち込んでいるという意識がないことに問題があるのだ。

これは、言い過ぎでも何でもないと思う。
音楽を演奏する者が、聴いてくれる人達の「感動」や「楽しさ」を意識したことがない!

いったい、いつの間に、、、そのように調教されてしまうのだろうか。。。

 

 Vicky Leandros - L'amour est bleu 恋はみずいろ ビッキー   

https://www.youtube.com/watch?v=-__M2Zi6qrE

 
ポップスの練習が終わり、次はロックである。

指揮者が、、、「 用意した譜面どおりでオッケーなので、、、リズムは、、、 ロックだから、さっきのポップスと同じ。」

 

 Help! (Remastered 2015)   

https://www.youtube.com/watch?v=N4KvafPbauw

 

そして、、、 ロックの練習が終わり、ジャズになった。

「スイングだからね。譜面の八分音符が並んでいるところは、全部、三連の前二つをくっつけて弾むようにやって。」

私は、、、 そのように演奏するのはかまわないが、それを「スイング」と呼んでいることに驚いた。ある程度の技術を持っている人達なので、スイングの弾みかたは、聞けば分かると思うのだが、、関心がないということは、そんなものなのだろうか。

ただ弾むだけならスイングではなく、百歩譲っても、それはシャッフルである。

練習が始まった。

私は驚いた! ジャズを好きでも何でもない人達がやると、こんなことになるのだ。

まず、、、 フォービートがぬるすぎる。
さらに、、、そこから、おめでたく弾むので、、、
グレンミラーの曲を、日本の民謡モドキにアレンジしたかのような感じになっている。

これを彼らは、「ジャズ」とか「スイング」と称しているのだ。

日本人らしく、律儀に弾むと日本の民謡になる。白人たちのノリはグレていて半端なのだ。彼らにしてみれば、それがクールということになるらしいのだが。。。

具体的に言うと、、、
ヤボったく聞こえるのは、アップテンポの曲なのに弾みすぎていることによる。スイングは、テンポが早くなるほど浅く弾むことが多い。特に早い曲は、ほとんど八分音符の連続で、なんとなく弾んでいるような気がする程度に表現されることが多い。反対に、スローテンポは三連より深く弾むことが多い。

技術的には、そういう事であるが、、、しかし、根本的な問題点は、、、
ジャズの、ビッグバンドを気取ってやっているために、「モドキ」になってしまっている点にある。

自分達の専門は吹奏楽であるから、、、 自分達の表現方法で、アレンジしてカバーする。自分達の胃袋で、一度、消化して、自分達の感性で表現する。
さらに、、、 自分達のカラーで!

それが、出来ないのなら、初めからやらない方がいいと思った。

しかし、これらの問題点を指摘したところで、、、 当時の高校の常識では、殴られるだけで、無視されるのが落ちである。

そんなサウンドでも、小学生や中学生なら、ほほえましく見ていられるかもしれないが、関東まで勝ち進んだ高校生に、みっともないジャズもどきは、やってもらいたくないと思った。

ここで私は、ふと頭に浮かんだ。。。
ロックは、どうなのだろうかと。。。
ロック好きの人がさっきの演奏を聞いたらどう思うのか、、、

実は、パーカスの一年生の相棒がロック好きなのであった。 早速、聞いてみると、、、

「気持ちが悪くて聞いていたくなかった。。。」

「ロックって、何?」

「怒り。抵抗。。。」

怒りと抵抗って何なのだろう。。。
その意味はピンと来なかったが、、、 さっきの「ロック」は、たしかに怒りや抵抗とは無縁なサウンドであった。

ロックというのは、英語の歌詞の中に、「怒り・抵抗」が描かれているのだろうか、、、 だとすれば、面白そうだと思った。

 

Jimi Hendrix - Purple Haze (Live)

https://www.youtube.com/watch?v=5ZAVG9JbvHI