吹奏楽 マーチング ダンシング

パフォーマンスで、感動を共有できることは、、、幸せだ

連載 吹奏楽とロック 6

 

 

昼休みになると、となりの秀才が昼食を誘いに来る。

学校内の食堂で話しながら食べるのだが、、、 話題は、やはり、いつもロックである。私達は二人とも、ロックの話題なら何時間でも話すことができた。それは、彼が楽器や演奏に詳しく、関心も強かったからだ。

彼は、幼稚園から小学二年生までピアノ教室に通っていたことがあり、その後、少年野球にシフトしたが、音楽そのものは、いつも好きだったそうだ。

だから、、、 レコードも、ビートルズローリングストーンズ・クリーム・レッドツェッペリンは、ほとんど全部、持っている。

そして、、、読書家の彼は、音楽全般に知識が深くて、話は、どれも興味深いものだった。

しかし、、、『こうしなければいけない』みたいに決めつけてしまう、知識偏重の傾向もあった。私の専門である打楽器に関する話では、いくつか気がついた事があった。

そのうちの、シンバルについて、一例を上げると、、、 『新品のシンバルを、そのまま使うのは良くない。ピカピカに磨いて喜んでいるようではダメだ。土の中に数週間埋めてから、水洗いして使うとシンバル本来の音になる』という。。。

意表を突いた、人を驚かせる話で、、、話としては面白いし、また、一理あるので紛らわしい話ではある。

実は、グレードの高いシンバル (ジルジャン 以上のクラス)は、、、新品の状態では、少し耳障りな音の成分を含んでいる。この耳障りな音は、、、土に埋めなくても、普通に使っているだけで、自然に改善する。

そして、ここから管理方法によって、音質が違ってくることになる。 使用後すぐに、丁寧に手入れをして、絶対に錆びさせないようにしていると、、、明るくインパクトのある音が長く続いていく。ほんの少しずつ落ち着いた音になっていくが、明るい音が長続きする管理方である。

反対に、、、 大雑把な手入れで、少しずつ錆びさせていくと、比較的早く、落ち着いた暗い感じの音になるので、、、 気に入った音になったところから、丁寧に手入れをするように心がければ良い。

土に埋めてしまえば、早く、落ち着いた暗い音になるというだけなのである。だから、明るい華やかな音を期待する場合は、絶対にやってはいけないことなのだ。

練習方法では、問題発言があった。

最初から最後まで、、『メトロノームを使うことはダメだ』というのである。『機械のような演奏はダメであって、演奏は歌っていなければいけない』というのだ。

なんというか、、、短絡的な話であって、、、 まだ、歩けない乳児に、最初から踊れといっているような話である。

このような、もっともらしい話はロック系に多い。 エレキギターエレキベースは、アンプを使わなければ蚊の鳴くほどの小さな音なので、レコードなどのプロの演奏に合わせて練習することができる。そして、まともな基礎練習をしたことがなければ、メトロノームを使う機会そのものがないのだ。

ところが、バイオリンのように、自分のアゴの下に音源があったら、オーディオの音などはほとんど聞こえない。管楽器のように音が大きくても同じである。メトロノームの音質は、打楽器のように抜け出してきて聞こえやすいのだ。 初心者のうちは、メトロノームは必需品なのである。

話を真に受けて、メトロノームを、全然、使わなかったら、、 、 自分では、良いつもりであっても、テンポやリズムはグダグダであり、良いビート感やタイム感覚を身に付けるには、相当な時間がかかる。人によっては、一生、不安定な演奏を続けることになる。

基礎的な力がついてきて、ジャストの演奏が出来はじめてきたら、その時、初めてメトロノームに頼らないで、、、 自分でビートやノリをつくっていくレッスンが重要になってくるのだ。

メトロノームは使うな』発言は、この後、数年の間に、三人から聞くことになったが、、、 三人とも、基礎的な力不足で、演奏に弱点を抱えていた。

三人の話を聞いたときは、ヨチヨチ歩きの幼児から、踊りなさいとアドバイスされているような気分であった。

このような、もっともらしい、都市伝説まがいの話もあったが、秀才との会話は、刺激的で面白く、いつも楽しむことができた。


私は、毎週日曜日は、アルバイトが休みであった。
秀才と付き合うようになってから、この日曜日は、私の家がにぎやかになった。

秀才が、私の家に友達を連れてきてから、、、その友達がまた、別の友達を連れてくるという現象が連鎖的に続いて、、、

日曜日の昼過ぎになると、5~6人が現れて、夕方には10人前後になる。私の部屋はサロン化していったのだ。

この連鎖反応は、ロックが触媒となって引き起こされたものだった。

このロックつながりの友人は、20人を越えた。

私にとってみれば、ロックバンドを結成するための情報収集には、理想的な条件であった。この友人達は近隣の高校、5校に分散していたからだ。バンドの結成は、慎重にやりたかったので、、、結成の事は、まだ、口には出さなかった。

ただ、気になることは、、、この連鎖反応のきっかけになった秀才自身が、まったく来なくなってしまったことだ。この時には、理由は見当がつかなかったのだが。。。本人は、「家で、しなければならない事があるから、、、」と言っていた。。。

昼休みの会食は続いていたので、気にしてはいなかったし、毎週日曜日には、楽しい奴等が来るので、秀才の事は忘れていた。 

 

Jimi Hendrix - Hey Joe Monterey Pop Festival 1967

https://www.youtube.com/watch?v=fe82eYRjiBU


私の『ロックサロン』には、時々、極端な人があらわれた。

一番、極端だったのは、、、

テレキャスターというエレキギターを持ってきて、、初めて来たにもかかわらず。挨拶もなしに、いきなり、このテレキャスターを弾き始めた! ジミ・ヘンドリックスのコピーであった。テレキャスターアメリカ製の高級品で、、、 この時は、アンプを使わないで弾いていたが、、、 私の安物と比べると、音が大きく、音に伸びがある。 そして、彼のウデもいい。

『サロン』のメンバーは、連れてきた一人を除いて、皆、初対面だったので、驚いてしまって、時間が止まったかのように固まっていた。

彼は、ギターを弾いているうちに、次第に高ぶってきて、「ジミヘンは、平和をこう弾く!」とか言いながら、『パープルヘイズ』のリフを弾くと、、、 次は、「ジョンレノンは、愛をこう弾くんだ!」。 ビートルズの曲を弾き始めたが。。

突然、「俺は、こんな所で、こんな事をしている場合じゃないんだッ!」と叫ぶと、テレキャスターを持って帰っていった。。。

彼は、、、完全に、、、頭にロックが咲いていた。

後日、、、 彼は、家を飛び出して、東京でライブ活動をしていたが、、、 ライブの最後に、興奮して『テレキャスター』で、ライブハウスのギターアンプを叩き壊してしまって、、、 親に買ってもらった『テレキャスター』は、再起不能。。。ライブハウスからは、「器物破損で訴える」と脅されて、 ギターアンプは、親が謝りに行って弁償したそうだ。

その後、彼のウワサは、誰も聞いていない。

この時代は、この手の話は多く、、、 ほかにも、親に買ってもらった『レスポール』というアメリカ製の高級なギターで、ホールのステージの床を思い切り叩いてしまって、、、当然、ギターはアウトであるが、、ホールの床の修理代が、とんでもない高額だったとか。。。

ロック教にはまると、分別を無くしてしまう、というか、、、 理性そのものが無くなってしまう若者が少なくない。驚くほど簡単に暴走してしまうのだ。。。政治勢力が、ヨダレが出るほど利用したがっているというのも、納得できる。。。

このような若者の暴走は、吹奏楽では聞いたことがない。 ロックでは、憧れの対象が教祖様のようになってしまって、やることなすこと、そして、何を言っても、すべて、受け入れてしまうのだ。

最近の、ロックスターも、、、影響力が大きいことを自覚して、、、知ったかぶって、もっともらしいテキトーな事を言うのはやめてもらいたいと、私は思う。意図的にやっているのかもしれないが。。。


吹奏楽では、、、頭が咲いてしまうような事はないが、、、 それもそのはず、 入れ込む対象がないのだ。

私は、中学・高校と数十曲の演奏をしたが、、、作曲家の名前は、行進曲のスーザと『木星』のホルストの二人しか覚えていない。そんな事はどうでも良かったのだ。 指揮者の時に、模範的な演奏だということで、何度もLPレコードで聴いたバンドも、名前が記憶の中からよみがえってこない。

吹奏楽は、ファン意識とは縁のない世界だった。 誰々さんは上手であるとか、どこどこ高校はすごいとか、身近なことにしか興味はなかった。

選曲も、私の意思で決まったものは、一曲もなかった。指揮者であった中学の吹部もふくめて一曲もない。 与えられた曲を、ひたすら練習して取り組んでいく。それが、吹奏楽である。

練習していくなかで、好きになっていく事はあるが。。。 ロック族に言わせれば、、、 『好きだとも何とも思っていないものを演奏する。。。 それで、どうやって、感動を聞いている人に届けられるのか、、、 そこでは、ただ、楽器の音が鳴っているだけだ。。。元々、無いものが届くわけがない。。。』 ということになる。

演奏する者にとって、自分達が感動できる曲を選ぶことや、感動できるアレンジをすることが、もっとも、大切な事なのだと思う。

 

 長い夜/シカゴ 25 Or 6 To 4/Chicago

https://www.youtube.com/watch?v=XvnDd-meR6M

 


私は、ドラムを買うことをためらっていた。バンドの結成が出来るのか、、、出来たとして、どのような傾向のロックになるか、分からなかったからだ。それによって、買うドラムのタイプの選定も変わってくるかもしれないからだ。

しかし、いつまでも、モタモタしているわけにはいかない。 夏休みが、すぐ、そこまで近づいてきている。

私は、行動を起こした。 ロックバンドの結成に向けて動き出したのだ! まずは、私の家の『ロックサロン』に出入りしている友人たちに打診するところから始めた。

エレキギターを持っている友人、歌える友人に声をかけた。

しかし、全員に断られた。みんな、バンドで演奏できるレベルではないということだ。実は、私も、そう思っていたのだが。。。

実は、彼らの回りにいるかもしれない、候補者を期待していたのだが、、、先に、本人を誘わなければ、失礼だろうと思ったのだった。。。

『サロン』の友人達は、この後、、、熱心にメンバー探しをしてくれた。次の、日曜日には、多くの話が集まってきた。しかし、、、有力なものは一件だけで、あとは話だけだった。

大学入試があるから、バンドの活動は出来ないという話も、もちろんあったが、、、 話のほとんどは、、、「いまから、楽器をおぼえるから、仲間に入れてくれ」というものであった。私は、「楽器の演奏が出来るようになったら、また、話をしてほしい」と、丁重にお断りしておいた。

「いまから、楽器をおぼえる、、、」というノリで、、、パフォーマンスを簡単に考えている。そのようなことでは、ほとんど見込みがないのであるが、、、夢を持つことは、良いことではある。

ほかには、「彼女が、三味線をやっているんだけど、メンバーになれないか?」と聞かれたので、「三味線を使ったロックは、今のところ、方向性が違うので、そういう機会が出来たら、また、よろしく。。。」といった具合で、様々な話が集まってきた。

「有力な一件」の話は、意外なものであって、、、後日、さらに、意外な展開を引き起こしていくものだったが、、 この、後日談は、また後で書こうと思う。

とりあえず、何が意外かというと、、、 『サロン』のメンバーの中に、ロックドラムを叩ける奴がいるのだから、どうして誘わないのか?というものだった。

私が、ギターを目指していると思い込んでいるから、そのような話が出てくるのであるが。。。 みんなの頭の中では、、、 吹奏楽で打楽器を、何年やっていても、それが、ロックドラムには結び付かないのだろう。

ただ、場合によっては、私がギターで、彼がドラムという選択肢も、実際に考えられる。

しかし、私は、彼がドラムを叩けることは初耳であった。 もちろん、本人から聞いたこともなかったし、私が本人に、ロックバンド結成の協力を頼んだ時も、ドラムの話は出なかった。だから、私は、不自然な印象をいだいたのだが。。。

この日曜日に、彼が『サロン』に現れると、、、みんなが大騒ぎ。。。皆、彼がドラムを叩く姿を見たいと言い出して。。。

彼は、最初は「やらない。」とか「出来ない。」とか言っていたが、、、最後には、みんなの騒ぎに押しきられて、やることになった。

そして、みんなは当然のごとく、「残るは、ボーカルだけだ!」と、ボーカルを探す作戦会議を始めた。

私は、「ベースも頼むよ」。。。

すると、、、騒がしかった『サロン』が、突然、静まり返って、、、

「あいつじゃ、だめなのか?」

みんな、私の顔を、、、 意表を突かれた!といった目で見ている。私にしてみると、みんなの表情の意味が分からない。。。

「あいつ って、誰?」

「まさか、お前、、、 秀才が、ベース、スゴいの知らなかったのか?」

「え~ッ! 聞いたことない!知らなかった。。 」

「お前ら、相当な友達だと思ってたのに。。。」

みんなが、どういうことだと、騒ぎになった。私も『どういうことだ、、、』であったが、、、

みんなの行動力は、すごかった!

あっという間に、『サロン』には誰もいなくなってしまった。みんなが、秀才の家に押しかけたのだ!

私は、一人になった『サロン』で、考えていた。。秀才が、ベースを弾けることを、今まで私に一言も話さなかった不自然さと、、、急に、『サロン』にこなくなった不自然さ。。。

毎日、必ず昼食を誘いに来るのだから、私を避けているわけではないのだ。

しかし、、、 秀才の家に10人も押し掛けて、、、そのうちの3人は、秀才とは面識がないはずだ。秀才の家族が、、、非行少年達の殴り込みだと勘違いしないか。。。という私の心配は当たっていた。

秀才の家は、、、近所の人達も表に出て来て、一時、騒然としていたそうだ。

一時間ほどすると、みんなが『サロン』に帰ってきた。 皆、笑顔で「いっしょに、やるってよ。」嬉しそうだった。

私は、内心、、、こいつらは、圧力団体かと、呆れていたのだが、、、 見たことのないヤツが二人、『サロン』に上がり込んでいる。 私の部屋は、いつの間にか『公共サロン』になっていた。

 

 黒い炎  チェイス   

https://www.youtube.com/watch?v=t7HKPV8LeHQ

 

「こんどこそ、ボーカルだけだぞ!」

しかし、次の日曜日、、、 ボーカルが見つかったという話は、一つもなかった。 私が『管楽器並みのパワー』と注文を付けたからだった。

皆は、『管楽器並み』でなくてもいいだろうと主張したが、、、私は、譲らなかった。

そうは言っても、いないものはどうにもならない。私は、ボーカルが見つかるまでの間、管楽器を吹けるヤツに、ボーカルの所を吹いてもらうように、頼むことにした。

早速、月曜日に、、、同じクラスの、吹部のテナーサックスに話を持ち掛けた。 私が転校した当初、熱心に吹部に誘ってくれた一人である。彼は、就職は、親戚の会社に決定済みであるし、我が校の吹部は、日曜祝日が休みであるから、条件は悪くない。

話してみると、、、すぐに、参加してくれることになった。彼は、以前からロックに関わりたいと考えていたのだ。彼は、ブラスロックに憧れていた。 だから、ボーカルの代わりでも構わないと承諾してくれたのだ。

しかし、気付いてみたら、、、私は、ドラムではなくて、ギターをすることになっていた。まぁ、ロックバンドに関わって経験を積んで、ロックバンドを実際的に知ることが第一なので、当分の間、ギターをやってみようと思った。

 

Blood Sweat & Tears - Spinning wheel (1989)

https://www.youtube.com/watch?v=QpsCzY2BRzo