吹奏楽 マーチング ダンシング

パフォーマンスで、感動を共有できることは、、、幸せだ

連載 吹奏楽とロック 11

 

 

私たちのバンドのメンバーは、三ヶ月後に全員が高校を卒業して、、、一人ひとりが、それぞれ、違う人生に向かって、違う道を歩んでいくことになる。

吹奏楽であれば、、、このタイミングで、練習の成果を発表することになる。。。 そういう発想以外はありえない。。。

吹部の活動は、教育の一環という雰囲気が強いので、、、ほとんどの家庭で、家業の手伝いや家事などは免除であるし、また、お金の負担も大きい事が多い。。。大袈裟ではなく、吹奏楽は家族の総力戦である家庭が少なくない。

だから家族は、バンドの隅っこでもいいから、活動している姿を見たいのだ。

そのような雰囲気の中にいたサックスは、当然のごとく『卒業ライブ』を提案した。

しかし、、、この時代のロックは、反教育的に見られていて、、、家族も、仕方なくお金を出してくれるという感じだった。家族も、支えている感がなかったのだ。

ロックをやっている本人も、、、家族に、支持されていないことは、いつも感じているので、、、ロックに関しては、家族との間に壁をつくっている。

秀才が、「事実上、ファンクラブのパーティーになるよな。。。ロックを好きではない人に、声をかけてもしかたがないし。。。」

サックスは、、、家族に来てもらうことが、当然、と思っていたので、、、肩すかしをくらったが、、、すぐに、納得したようだった。

そもそも、感動を共有できるようなパフォーマンスが出来る力は、このバンドには無かった。

みんなの意見は、、、『最後の練習』ということで、ロック好き達に声をかければ、それで良いということになった。

卒業式の数日後に、『最後の練習』をやった。40人も来てくれたのには驚いた!

せんべいとコーラだけで夜更けまで、まだ来ていない未来を語り合った。

 

 Superfly - Force

https://www.youtube.com/watch?v=co27ANdilhE


4月になると、地元に残ったのは、私と秀才だけだったので、、、三ヶ月ぐらいは、新しい仕事に専念して、、、その後、新しいメンバーを探そうということになった。

しかし、三ヶ月後、、、秀才は、仕事を極めるのには、一年程度の時間と、法律関係の勉強にかなりのエネルギーを使わなければならないので、あてにしないでほしいと言ってきた。

しかたがないから、余裕が出てきて、条件が良くなったら、また、やろうということになった。

しかし、、、秀才が戻ってくることはなかった。。彼の職場は、ほとんどが大学卒だったのだが、、、秀才のずば抜けた国語力が、文書作成で皆に頼りにされて、入社から半年後には、、、自分よりも5~10才も年上の社員のなかで、リーダー的な立場になってしまった。

そうなると、一年未満の新入社員であるにもかかわらず、責任は大きなものになってくる。彼は、この後の3年間ぐらいは、無我夢中で仕事に没頭していたようだ。

私の手元では、、、ボーカルアンプのほか、山のような楽器や機材が空しく遊んでいたのだが、、、私自身も、ロックバンドの再編成どころではなくなっていた。

私は、私で、、、問題に直面していたのだ。

先輩社員の中に、クセの悪い奴がいて、、、その先輩は、新入社員にケンカを売って凹ますのが楽しみというタワケ者なのだが、、、私にケンカを仕掛けてきて、返り討ちにされてしまったのだ。

他人事みたいに言っているが、、、本当は、冗談で済まされる問題ではない。翌日から、ほかの社員達の、私に対する態度が変わってしまった。

まるで腫れ物に触るように、わたしを扱うようになってしまった。なんと!上司も、私を丁重に扱うようになってしまったのだ。もう、本音で話しかけてくれる先輩達はいなくなってしまった。

私は、、、人間的にダメだと思った。。。

なぜ、あの時、暴力以外の解決方法を考えなかったのか、、、「危険な奴はツブシておかなければ、後が面倒だ。」という恐怖心から、つい短絡的に手を出してしまった。

まともな社会人のする事ではない。

私は、自分の拳で、自分の人生を壊してしまいそうな予感に悩まされていた。

問題の根元は、、、ケンカで負けたことがないからと、いい気になっている自分自身にあるのだ。。。

それで、、、思い付いたのが、、、ボクシング ジムに通うことだった。

絶対に勝てない人たちに囲まれていれば、精神構造が変わるだろうという発想からだった。

楽器は、知り合いを通じて、すべて処分した。私は、ボクシングのトレーニングに、仕事以外に残ったエネルギーのすべてを投入した。そして、2年間ではあったが、、、ボクシングから、学んだことは『我慢』であった。

毎日、我慢して、必死にトレーニングをしないと、スパーリングで叩きのめされるのだ! 食べたいものも我慢して、、、ボクシングは何もかも『我慢』だった。

そして、相手に勝つためには、工夫が必要だった。感情はハイテンションでありながら、平常心で工夫をしていくのだ。この事は、どんなスポーツでも同じだろうが、、、ボクシングには違う点がひとつある。。。失敗すると、肉体的にダメージを受けるということだ。時には、一生、障害が残ることも有りうるのだ。

恐怖心を無視して、平常心の中で工夫していく、、、私は、ボクシングから『我慢と平常心と工夫』を学んだ。

 

AC/DC - Back In Black (Official Video)    

https://www.youtube.com/watch?v=pAgnJDJN4VA


ボクシングをやめた後、また、ロックを始めることになった。

ドラムは、新しく買い直した。そして、メンバーは、まったく、新しい人達である。

この後の、音楽の活動でも、面白い話は沢山あるが、、、 ここで、『吹奏楽とロック』の連載は、終わりにしたいと思う。

現在進行中のバンド関係の人達が、話の中に出てきてしまうのだ。。。それは、避けたいと思う。

今後は、連載ではなく、、、思いつく度に、単発で書いていきたいと思う。

 

想い出話に付き合ってくれて、ありがとう。

  

 Sadao Watanabe - Orange Express

https://www.youtube.com/watch?v=elpmL1UUL2Y