吹奏楽 マーチング ダンシング

パフォーマンスで、感動を共有できることは、、、幸せだ

連載 吹奏楽部 MEMORIES 16

 

トロンボーンの家に着くと、、、閑静な住宅地に建つ立派な家だった。

彼の部屋に入ると、大きなオーディオが壁際に置いてあった。見たことのないメーカーだった。

彼は、「なんか、レコードを聴く?」

ラックのなかに、LPレコードが五十枚ほど並んでいた。 私の家とは、すべてが全然違っていた。

「えっと、ジャズは、、、 ジャズは、5枚しか持ってない。」

私より、多い。。。

「これは?」

彼が選んだのは、ベニー・グッドマンだった。

「同じの、持ってる!」
「じゃ、違うのにするか。。。」
「それでいいよ! 聞き比べたい。。。家のは、安物だから、、、sing sing singをかけてくれ。」

singのドラムソロが始まった。

私は、いきなり驚いた!
最初のドラムソロから、ハイハットでバックビートを踏んでいるのだ。私のポータブルステレオでは、ハイハットが聞こえていなかった。 そして、その後の演奏は、バスドラがベースと同時に、フォービートを打っているのが聞き取れる。安物では、ベースとバスドラが混ざっていて分からなかったのだ。

「すごくいい音だね。」

「親父のお下がり。。。 親父が、アメリカ製のを買ったから。これを貰ったんだ。」

「これ、どこ製?」

「イギリスだよ。」

「高いんだろうね。」

「国産の、高級車より高いって言ってた。」

私は、、、 良いオーディオは、音が豊かで、そして、大きな音がでるだけだと思っていた。 たしかに、そうだが、、、 それよりも、一つ一つの楽器を鮮明に聞き分けることができることに驚いた。

それと、大きな音でも高音がうるさくない。低音も、豊かだけれどハッキリしている。

一番、驚いたのは、グッドマンのクラリネットの音だ。特に、高音がとてつもなく美しい。

 

 バイクの音だと思ったら

https://www.youtube.com/watch?v=HXYHW2RKypk

 
彼は、、、 少し、表情を暗くしながら、「ジャズを聴けるって、、、おまえ、すごいよ。 俺は、ジャズ、分からないんだ。」

分からない?
私は、彼の日本語の意味が理解できなかった。

だから、テキトーに「難しいことは分からないけど、ただ聴いてたら好きになっただけだよ。」

しかし、彼のこの日本語で、後日、頭を悩ますことになる。

「ジャズが分からない」。。。

「分かる」って、どういうことなのか?

ジャズ理論的なものを理解しているということなら、学問的なことが「分かる」ということであるが、、、

私が分かっていて、彼が分からないのだから、、、
そんな難しいことを言っているのではない。

良し悪しが「分かる」という、、、 評価することが出来る、、、評価する能力を持っているということなら、私は「分かって」いないということになる。

私は、良いか悪いか、、、 上手か下手かなんて評価はできない。 好きだから、好きなものを聴いているというだけだ。

そもそも、私の頭のなかには、「分かる。分からない。」なんてものはなく、「好き。好きではない。」しかない。

もしかしたら、、、 音楽を聴く動機の違いかもしれないと思った。 私は、単純で、、、 聴きたいから聴く。楽しいから聴く。ということだけなのだが。。。

彼は、教養として聴く。良い評価を得たいから聴く。ということなのかもしれない。

たしかに、、、 以前、戦友さんから、、 ジャズを聴いているだけで「大したものだ」と言われたことがあった。ジャズはブランド品なのかもしれない。

ということは、、、 彼は、ブランド品を持っている私を、友達の一人に加えたいということなのだろうか。。。

三年生になった四月、、、 入部希望者が、パートの希望用紙を記入しているのを見ながら、、、 彼が、入部した当時のことを話してくれた。

当初、希望用紙に、、、 ①スネアドラム ②トロンボーン ③トランペット と書くつもりだった。
だから、彼は数ヶ月前から、スティックを購入して、自己流で練習をしていた。

ところが、スネアドラムではだめで、パート名のパーカッションと書かなければならない。 その上、一年生はシンバルかバスドラで、二年生になってもスネアになるとは限らないと聞かされて、希望は①トロンボーン②トランペット③ホルンに変えた。

シンバルやバスドラは、簡単そうに見られてしまうから嫌だったそうだ。

「俺はいつも、評価ばかり気にしていて、、、親父の評価、学校の成績の評価、まわりの評価。。。疲れるよ。。。 お前はいいな。。。」

お前は、能天気でいいな、という意味だと思うが。

私は、この時、、、 「ジャズが分からない」という意味を「分かった」気がした。。。

 

 Blast! - Malaguena

https://www.youtube.com/watch?v=lGkhiiM-KRg

 

彼の部屋では、ジャズ以外に、行進曲も最高のオーディオで聴かせてくれた。

そして、彼は机の引出しからスティックを出した。
「スネアを細かく叩けないって、これのことだろう?」と、、、 机の上を、、、 ガ~~と叩き始めた。
トレモロっていうんだよ。」

そして、スティックの持ち方を教えてくれて、、、
机にスティックの先端を押し付けてみろと言う。

やってみると、、、 3~4回弾む感じだ。
それを、左右交互にやると。。。

 出来た!

これが、私の人生のターニングポイントであった! この時の私は、ターニングポイントだとは意識しなかったが。。。

ピッコロの、、、 フルートの、音が出ただけで、大好きになった。時 と、似ている気がする。

「簡単だろ?」

「ほんとに、簡単だ!」

吹奏楽、やろうよ。」

私は、、、 自分にも出来るかもしれないと思った。

 

 Ohio State Marching Band Hollywood Blockbusters Halftime Show 10 26 2013 OSU vs Penn State   

https://www.youtube.com/watch?v=7_ToAF46GPQ

 
そして、翌日に入部した。

最初、顧問のテノールのところに行って、入部希望を伝えると、、、 「どの楽器をやりたいの?」

「ドラムスに憧れてます。」

「そうか、太鼓か。。。」と言いながら、部長のところに連れていってくれた。

「太鼓が希望だそうだ。よろしく頼むよ。」と部長に引き渡された。

私は、部長が女子であることに少し驚いた。当時は、男女の数が半々だったら、男子がトップになるのが普通だった。

部長は、「吹奏楽部に入部してくれて、ありがとう。」と手を差し出して、握手をしてくれた。 剣道部も陸上部も、こういう対応はなかったので、二度目の驚きだった。

部長は、「本当は、第三希望まで聞くんだけれど、今年は、他に希望の子がいないので省略するね。」と言いながら、パーカッションパートに連れていってくれた。 まるで、流れ作業のベルトコンベアに乗せられたみたいだ。

この日は、偶然、三年生の二人が風邪を引いて休んでいたので、二年生に引き渡された。 この時が、三度目の驚きだった。

見るからにヤバい! いたずら小僧がそのまま中学二年生まで成長してしまったという雰囲気の先輩だった。

ぶっきらぼうな、しゃべりかたで「お前、パーカッション、希望したのか?」

「パーカッションって何ですか?」
私は、本当に知らなかったのだ。

近くにいた一年生と先輩は、大笑いである。
「お前、本当に知らなかったの? アハハ  お前、気に入った!」
いきなり、先輩に喜ばれてしまった。

まだ、面白さが抜けないみたいで、ヒクヒクしながら説明してくれた。
「打楽器のことだよ。 アハハ。  オーケストラや吹奏楽は打楽器のことをパーカッションっていう。他のジャンルだと、ドラムス以外の打楽器をパーカッションていうんだよ。」

先輩は、練習用の太いスティックを私に渡して、練習用の板を指差して、「何か、叩いてみろ。」

「では昨日、教わったばかりのトレモロを、、、」

ガ ガ ガ ガ とやった。太いスティックで木製の板を叩くと、けっこう大きな音がする。

先輩は、、、 「こういう連続するのを、パーカッション以外じゃトレモロっていうけど、、、俺達は、ロールと呼ぶ。 それは、クローズドロールといって、シンフォニーやジャズで使う技だな。。。」 と言いながら、、、

ガーーー

すごい! 右と左の音がきれいにつながっている。 まったく波を打たずに一定である。。。

 「スゴいです。完全につながってますね。」

先輩は、クローズドロールを小さな音で続けながら「3足す3は6、6足す6は12、、、いくらでもつながるよ。」

「三回ずつ打ってるんですか?」

先輩は、少しずつテンポを落として、ゆっくりにしてくれた。 かなり、スローになった辺りで、三回ずつが確認できた。 ほんとに、三回ずつ打ってるんだ。。。

先輩の解説は続く、、、

「マーチングでは、ダブルストロークロールが多い。二つ打ちともいう。」

スローの二つ打ちからテンポを上げると、また、音がつながった。
今度は、激しい感じだ。

「ロックドラムで多いのが、シングルストロークロール。」

すごい迫力だ! 交互に一回なのに、つながって聞こえる。

ティンパニーの基礎は、スティックの持ち方が違う。音を潰さないように、跳ね返す感じだ。」

先輩が、手首を少しひねって角度を変えると、軽やかな音にかわった。

すごい! 私は、圧倒された。。。

先輩は、練習用の太いスティックを置くと、、、「お前、今、、、 こんなこと自分には出来っこないと思ってるだろう。 でも、一年後に、お前は出来るようになってる。 なぜだと思う?」

「分かりません。」

「お前が、これから基礎練習を徹底的にやっていくからだ。大事なのは基礎練習! 基礎練習は命! 分かったか?」

「分かりました。」

「分かりました じゃなくて、返事は、はい! だけでいい。」

「はい!」

 
私は、、、

ここから、、、 始まった。。。


吹奏楽部 MEMORIES」   完


新シリーズ「吹奏楽とロック」をやる予定です。

 

Kyoto Tachibana High School Green Band - Disneyland 2017  

https://www.youtube.com/watch?v=QCl0XsUT41A

www.youtube.com 

 Henri Kling: Elephant und Mücke

https://www.youtube.com/watch?v=eDTrWB1pA5U

   

 

連載 吹奏楽部 MEMORIES 15

 

ビートルズがやって来た。
ビートルズ日本公演」である。 昭和41年のことだ。 私は小学校六年生だった。

私は、まったく関心がなかったが、、、
マスメディアの威力は凄まじい。 クラスの女の子達の話題は、ビートルズ一色になった。

ブームがブームを呼んで、群衆心理か集団催眠か。
もしかしたら、、、 日本中の、10~25才の女性のほとんどが、ビートルズカラーに染まってしまったのではなかろうか。。。

しかし、、、 その彼女たちも、今では63~78歳である。

今でも、若者のなかにビートルズファンがいるということは、すごいことだと思う。
ビートルズ ブームは、 日本のポピュラー音楽のレベルを底上げしたという点で、画期的なことだった。 それほど、ビートルズの創り出すサウンドは、斬新で質が高かったのだ。

それまでの日本は、ゆるいロック系ポップス・モドキしかなかったのだ。

しかし、ビートルズは斬新すぎて、わたしの脳では対応できなかった。

当時の男性ボーカルは、低いソフトな声で歌うのが主流だったが、ビートルズは高い声のコーラスが多いので、私には子供っぽく聞こえた。
そして、ギターの甲高い音が耳障りで、感動も高揚感もなく、、、 どうして、そんなに人気があるのか、私には理解できなかった。

例えるならば、、、 コショーをかけたラーメンを食べても、コショーの味しか感じていなかったということだ。この時点で、私の脳は「ロック」に適応出来ていなかった。

ジャズに夢中になっている時期だったので、なおさら馴染まなかったのだろう。
フォービートとエイトビートの違いもあったが、、「ロック」そのものに、私の脳が反応しなかった。

私が、「ロック」に反応するのは4年後のことになる。

 

 The Beatles- Day Tripper ( Official Video)   

https://www.youtube.com/watch?v=AYZlME0mQB8

 

 中学の新入生歓迎会で、、、 私は初めて、吹奏楽のステージ演奏を観ることができた。

小学校と違って、中学生のやることは、スケールが違うと感動したが、反面、、、 サウンド面では失望した。

プロの、、、 ジャズのビッグバンドと比較すべきではないが、、、 私は、それしか聴いたことがなかったのだ。

リズムが甘いというか、、、ノリが悪い。それどころか、時々、パーカッションと金管の低音部がずれたりする。 音質も悪く、メリハリもなく、、、 全体的に、だらだらした感じに聴こえた。

さんざんな評価であるが、、、 第三者の立場から、素直に、そう感じたのであった。

ピッコロが、初めて、我が吹奏楽部の演奏を聴いたときの評価が、私と正反対であることは興味深い。

ピッコロのほうが、私よりも、何十倍も音楽的な能力が高かったのに、我が吹奏楽部が「とても難しいことをやっている」と勘違いしている。 我々二人の、どちらが聴いたものも、レベル的には、たいして、かわらないはずなのに、、、

彼女と私は、脳の構造が違うのだ。 彼女のほうが優れているに決まっているのに、、、 不思議なことである。


「難しい」と言えば。。。

ピッコロが二年生の時の、一年生に対する指導を思い出す。 この一年生は、幼稚園の年長さんからピアノ教室に通っていたが、フルートは未経験で入部してきた。

夏休みの、パート練習で、、、 私がみていると、 この2ndの一年生がミスをしたらしく、「そんなに難しくしなくていいのよ。自然に吹くだけでいいの。。。」

ピッコロが、皮肉を言う性格ではないことは誰でも知っている。この時のピッコロは素直に指導しているのだ。

私が、この一年生の立場だったら、「自然に吹けないから、こうなっているんだろうが。」と思って、まともな返事はしなかっただろう。 しかし、この一年生に、そのような様子はなく、はっきり「はい!」と返事をしていた。

私は、「ピッコロは、教え方がヘタだな。」と、この時は思った。

ところが、、、 この後、この一年生は有力高校に注目される存在なるのに、たいして時間はかからなかった。 半年に満たない経験の一年生の二人が、驚異的に上達していたのだ。

それは、三年生のパートリーダーが、教え上手だっただけではなく、ピッコロのカリスマ性と優しさが、二人のやる気を出させるには十分だったからである。

そして、ピッコロのアドバイス、、、「自然に吹くだけでいいの。。。」の意味を理解するのに、私は、長い年月を必要とした。

ピッコロのアドバイスは、ミスを指摘したものではなかった。 演奏自体を「自然に・・・」と言っていたのだ。

吹奏楽のことも、ピッコロのことも、とうの昔に忘れてしまっていた40年後、私は、、、 ふと、「自然に聴こえる演奏って、それだけで凄いことだな、、、」と思ったことがあった。
その時、目の前で、稲妻が光った思いだった。そう、、、あの時の「自然に吹くだけでいいの。。」

ピッコロは、さりげなく、そう言って、、、 2ndの一年生は、はっきり「はい!」と返事をしていた。

二人は、私という凡人の前で、、、高次元の会話をしていたのであった。 「天才のすることに、凡人は口を出すな。」という言葉が当てはまる、典型的な例だと思う。

 

 Flute & Guitar: Spanish Love Song (album APASIONADA) Jane Rutter Flute   

https://www.youtube.com/watch?v=J7IC8bOCpZA

 
それでは、ここで、また、つまらない私の話に戻りたいと思う。。。
私は、「新入生歓迎会」の時点で、吹奏楽部に入るなんて夢にも思っていなかったのだ。

音楽の授業でやっていた、リコーダーや木琴の時のテイタラクを考えると、、、  私が楽器を演奏するなんて、有り得ないことであった。

私は、剣道部に入部した。。。

希望に燃えていた。 やる気はMAXだった。
しかし、入部して一ヶ月もしないうちに、私のやる気をどん底まで落としてくれた先輩達がいた。

ある日、、、 部室の前に、剣道の防具や竹刀が散乱していた。 無造作に、散らかっていたのだ。

私は、竹刀や防具をまたいで部室に入った。
すると、、、 三年生が、「お前、今、俺の竹刀をまたいだな! 剣は神聖なんだぞ。またぐときに、防具も蹴っただろう。」
「すみませんでした。またいだけど、蹴ってはいません。」
剣道は、素足であるから、触っただけでも気が付くはずである。 そもそも、散らかしておいて、「神聖」はないだろう。。。

しかし、変なやつはどこにでもいるものだ。この場は、波風を立てずに切り抜けようと思っていた。

ところが、、、 ほかの三年生もこの「変なやつ」に同調したのだ!

私は、、、 何も言わずに、この異様で「神聖」な場所を立ち去って、二度と戻らなかった。

私は、翌日から放課後はすぐに帰宅した。
しかし、家にいても落ち着かなかった。いま、この時間、、、 私と同じ一年生たちは、部活に打ち込んでいるのだ。

次の部活を決めるために、他の部活を物色することにした。

一週間、一年生と目を合わせないように、こそこそと色々な部活を見て回った。 しかし、やる気になれるものはなく、校庭の土手の上に座って、何となく陸上部をながめていた。

すると、、、 自分の目を疑う光景が、、、

砂場のところで、空中を走っている人が目に入ったのだ。 走り幅跳びだった。 当時は、空中で走っているみたいに足を動かす「はさみ跳び」が主流だった。

しかし、空中での滞空時間が長い。 普通ではなかった。
実は、、、彼は、関東大会の記録保持者の三年生だったのだ。

私は、、、この一瞬で、走り幅跳びに憧れた。そして、この日、陸上部に入部した。顧問の先生は、出張でいなかった。

翌日、意気揚々と陸上部に参加した。
準備運動が終わると、、、 男子は全員で、裏山の戦没者慰霊塔まで走るのだという。慰霊塔までは、坂が続く2kmである。個別競技の練習は、その後である。

私は、この慰霊塔で心が折れた。 坂道で同じ一年生についていけなかったが、、、 足に自信のある奴らが、すでに、一ヶ月間、鍛えているのだ。ついて行けるわけがない。私は、5分近く遅れて、倒れそうになりながら慰霊塔についた。

遅く陸上部に入って、しんどいだけなら耐えられたかもしれない。同じ一年生に追いつくことが目標になるからだ。

慰霊塔では、先に着いた全員が休んでいた。
私は、陸上部では二度目であるが、ここで「目を疑う光景」を見てしまった。

先に着いた三年生達が、慰霊塔に供えられている果物を食べていたのだ。 この三年生達は、供えた人の気持ちが分からないらしい。 戦争の体験談を、父や戦友さん達から聞いていた私には、理解しがたい行為だった。

季節外れの、高価な果物を片手に、「おまえ、遅かったから、家に帰ったのかと思ったよ。」
この冗談で笑っていたのは、果物を手にしている三年生達だけだった。

私は、この後、トレーニングを中断して、本当に家に帰った。 当然、陸上部は、この一日でやめた。

また、部活ニートになってしまった私であったが、、、
もう、探す意欲はなくなって、さっさと家に帰る毎日をおくっていた。

そんな、5月の下旬、、、

昼休みに、教室の窓から中庭を、ぼんやりと見ていると、、、
「部活、やってないんだって?」
クラスで一番のイケメンが声をかけてきた。

彼は、吹奏楽部でトロンボーンをやっている。
彼は、真顔で「好きな音楽があるか?」

「好きなのは、ジャズだけだよ。。。」

この時の、彼の、顔の表情の変化を、今でも忘れずにおぼえている。

うまく表現できないが、、、
呆然と私の顔を見ている感じで、、、 すぐに、目をそらすような感じで、、、 中庭を、数秒見ていたが、、、 気を取り直すように私に向き直り、突然、明るい表情になって「憧れる楽器ってある?」

急に親しげな話し方になったので、私の心は肩透かしをくらって倒れそうになったが、私も、すぐに気を取り直して、「ドラムっていいよな。。。」

彼は、、、ヤッター!という思いきりな笑顔で、「打楽器の一年生がやめちゃったんだよ。吹奏楽やらないか?」

「無理!無理! 俺、あんなにバラバラに動けない。」

「大丈夫! シンバル→バスドラ→スネア→ティンパニー→ドラムスって練習していくから、誰でも出来るようになるよ。」

「でも、俺、スネアを、、、あんなに細かく叩けるようになるとは思えないし、、、楽器を買う金もないし、、、」
この時の私は、とことん卑屈であった。

呆れた彼は、、、しばらく天井を見つめてから、「楽器は、揃っているから自分で買うのはスティックだけだよ。まぁ、それはいいけど、今日、家に、遊びに来ないか? 部活、終わってからだけど。いいかな?」

どうせ、暇だったので、「じゃあ、終わるの待ってるよ。」

この日、彼の家に遊びに行ったことで、、、
私は、音楽という、一生の親友ができることになる。。。

 

The Trombone Meets The Bumblebee  

https://www.youtube.com/watch?v=kGgUK2s-sqA

www.youtube.com

 

連載 吹奏楽部 MEMORIES 14

 

今回はつまらないことを、詳細に書こうと思う。。
つまらない事とは、自分のことである。
まぁ。。。音楽脳とか、JAZZの基本などにも触れるので、、、 多少は期待してもらっても良いかもしれない。。。


私の家に、ポータブルステレオが届いた。

いまから、五十四年前の、、、 私が、小学校五年生の時のことである。

ポータブルステレオとは、、、 早い話が、安物のオーディオである。

何かの懸賞に当たったのだった。
六人家族は、大騒ぎであった。

それまで、我が家には、音楽を聴くための、専用のオーディオのようなものは無かったのである。
音楽を聴けるものは、テレビとラジオだけであった。

父が、「子供はさわるな!」

と言われると、、、 子供は、本能的に「これは大切なものだ」という認識をもつ。 そして、同時に「触りたい。。。」という欲求が沸き上がってくる。

このポータブルステレオには、ソノシートと呼ばれるペラペラと薄いレコード盤が、二枚オマケでついてきた。

一枚は落語で、、、 落語家の名前は忘れたが、、もう一枚は「イン・ザ・ムード  グレン・ミラー楽団」とあり、内容は音楽らしい。。。
父は「アメリカの音楽だよ。」と言っている。

アメリカの音楽・・」と聞いたとたんに、みんな、興味を失ったらしく、、、 先に、落語を聞くことになった。

ターンテーブルが回り始めると、子供達は、目をうばわれた。 メカである!

男の子にとって、メカは強烈な刺激であり、自分をパワーアップしてくれるものであり、現実からの逃避であり、生き甲斐である。 だから、どうしても、所有したい物なのだ。

母は、お茶の支度をしに台所に立ったのだが、、この落語は三分間程度で、途中で終わってしまった。 「オマケ」と言うのは、こんなものである。

しかたなく、みんなでお茶を飲みながら「イン・ザ・ムード」を聞くことになった。

皆が、黙って聞いていたのは30秒程度で、関係のない話が始まり、あげくのはては、テレビを見ようということになった。

「イン・ザ・ムード」は中断されて、、、 ポータブルステレオは、となりの部屋に片付けることになった。

音楽を聴くなら、テレビの歌番組の方が良いと、皆が悟ったのだった。ポータブルステレオでは、映像が映らない。 これは、決定的な欠陥であった。

しかし、翌日。。。
学校から帰ると、、、 兄達が、勝手に動かして、落語を聞いていた。

中学生は、子供ではないらしい。

私は、興味がないふりをしていた。 これは、心理作戦である。

さらに、翌日。 ポータブルステレオは、誰にも相手にされなくなっていた。 だが、まだ早い。。。

そして、その翌日!
私は、小さな音で、「イン・ザ・ムード」を聴きながら宿題をやっていた。

しかし、宿題が進むわけがない。 私の横では、メカが作動しているのだ。 しかも、見よう見まねで、私が動かしたものなのだ。 今現在、興奮状態である。  しかも、家族にとがめられるかもしれない。

兄が、外から家に入ってきて、私の後ろで立ち止まったが、何も言わずに外に出ていった。

我が家では、宿題等の勉強をしている者のじゃまをしてはいけないという掟があった。 だから、話しかけてはいけないのだ。

私の作戦は、成功しつつあるようだ。 しかし、完全勝利のためには、、、 ポータブルステレオを鳴らし続けることと、勉強をし続けること。。。 これを、不自然であっても、やるしかない。

私が、ポータブルステレオを使うことを既得権にするには、これを続けるしかないのだ。

しかも、家族全員が興味を失っている今、、、 頑張れば、私が、独占出来るようになるかもしれない。

 

 The Glenn Miller Orchestra -- (1941) In the Mood [High Quality Enhanced Sound]

https://www.youtube.com/watch?v=6vOUYry_5Nw


一週間後。。。 すでに、独占体制に入っていた。

「イン・ザ・ムード」を、小さな音でかけながら、勉強をしたり、、、ふりをしたり、していた。

私は、、、 メカを操作することと、所有することの、喜びに浸っていたのだ。 家族のなかで、もっとも立場の弱い私が、このようなビッグチャンスに恵まれることは二度とないかもしれない。

しかし、不思議なことに、、、 家族からの干渉はまったくなかった。

今、思うと、、、 「あんなに勉強をすることは、滅多にないんだから、そっとしておかなければダメだよ。」とか、何とかいう指令が、母から出ていたのだろう。

この時点で、、、 「イン・ザ・ムード」だか何だか知らないが、、、 このアメリカの音楽は、どうでもよかった。 ただ私は、メカを獲得しようとしていただけだったのだ。

だから、このサウンドは、鳴っていても邪魔ではないという程度のものだった。 まだ、私の脳は、ジャズを聴く構造にはなっていなかったのである。

 

 

それから、一週間だったか、二週間だったのか、どのくらい後だったのか忘れたが、、、 いつもの、おじさんが、いつも通り、酒の一升ビンを吊るしてやって来た。

この人は、私の父の戦友である。 二人は、大東亜戦争において、何度も戦闘を経験して、、、
弾の下をくぐって、生きて帰って来た仲間なのである。

私が、「イン・ザ・ムード」を聴きながら一人遊びをしていると、、、

「ジャズを聴くのか?」と聞かれた。
わたしは、「えっ?」

「ジャズ」という言葉と「イン・ザ・ムード」が結び付かなかったのだ。

戦友さんは、私がジャズを好きで、いつも聴いているのかという意味の質問をしたのだったが、、、

父が、「ずーっと聴いてるぞ。」と言ったものだから、、、 戦友さんの中では、ジャズ好きの小学生という事実が出来上がってしまった。

「大したものだな!! ベニー・グッドマンは聴いたかな?」

「聴いたコトないです。」

「グッドマンはいいぞ~。」

大したものだと言われて、嬉しくなってしまった。 ジャズは聴いているだけでも、大したものになるらしい。。。
私はこの日、「ジャズ」という音楽と、「グッドマン」という音楽があることも認識した。

この戦友さんは、月に二~三回は、我が家に来ていた。 が、、、この時は、特別に三日後に戦友さんが現れた。

右手に一升ビン、左手にLPレコードを持っていた。

そして、私に、、、
「グッドマン!持ってきたぞ!」

レコードジャケットの表側は写真で、、、 見たことのある楽器を持ったおじさん達が沢山写っている。

一番、目立つのが、、、 パイプを伸ばしたり縮めたりして、パーパーいうラッパである。

レコードジャケットの写真に写っている、ほとんどの楽器を、私は見たことがある。中学生や高校生が行進するときに使っている楽器だ。 「グッドマン」て、行進しながら演奏している音楽のことだったんだ!

戦友さんは、ジャケットの隅でリコーダーを持っている、メガネをかけたおじさんを指差して、「ほら、これがベニー・グッドマンだよ。」

なんだ、、、人の名前だったのか。。。

「このリコーダーは、金属の飾りがいっぱい付いているね。」

「ハハハ。これは、リコーダーじゃなくて、クラリネットっていうんだよ。そして、飾りじゃない。演奏の時に操作するんだ。無駄なものは、何もついていない。」

うッ。 メカだ!

クラリネットって、どんな音がするんだろう。。。
さっそく、LPレコードを聴いてみた。

聴いてみると。。。
どの音がクラリネットか分からなかったが、、、それよりも、グッドマンは、行進の時の音楽ではないことに気がついた。

そして、「イン・ザ・ムード」と同類のジャズであることにも気がついた。

私の脳は、「イン・ザ・ムード」を聴き続けてきたことによつて、ジャズを識別できるようになっていたのだ。 それも、理屈や知識ではなく、感性で!

しかし、「感性」とはいっても、私は、ジャズを好きになったわけではなかった。

ターンテーブルの上でグルグルまわる、黒光りをした直径30cmの LPレコードの迫力に満足していた。 これは、私が、所有するレコードなのである。

兄達が見に来た。
まわっているLPレコードを見たとたん、視線が釘付けになった。

ヤバい!! 陸上競技円盤投げの真似事に、レコードを使いかねない連中なのだ。

すると父が、「お前達は、このレコードに触るなよ。」
よく分かってらっしゃる。

やったー! 完全勝利である。
あとは、私が留守中の隠し場所さえ確定すれば完璧である。

LPレコードは素晴らしい。。。 ソノシートは片面しか曲が入っていないが、LPは両面に十数曲入っている。

今までは、三分ごとにかけ直していたが、、、 LPは、一度操作すれば、三十分間は、次々に曲が流れ続ける。

しかし私にとって、この十数曲はどれも同じようなものだった。 ジャズというだけで、どの曲も同じように聞こえた。 私のジャズ脳は、その程度のものだった。

私は、このLPを毎日聴いた。
というか、、、 毎日、使い続けていた。 宿題をやりながら、、、 一人遊びをしながら、、、

私が、このポータブルステレオを使わなくなったらどうなるか。。。
いずれ、、、 雨の降る庭に転がっている。 なんてことも、充分に起こりうる。

使い続けることで、権利を維持できるのだ。

充実した毎日だった。 新車を手に入れた青年のような心境であった。

本当は、、、 流行歌のレコードも欲しかった。しかし、それを買ってもらったりしたら、、、
兄弟で仲良く聞きなさい、ということなるのは、目に見えている。 そうなったら、あっという間に、兄達に主導権を握られてしまうだろう。

私は、常に、立場が弱いのだ。そうなったら、元も子もなくなってしまう。

流行歌のレコードは我慢するしかなかった。

 

そして、、、 数か月後のある日。。。

母が、、、 「貧乏揺すりだと思ったら、音楽の調子をとってるんだね。」

宿題をしながら、ジャズに体を揺らしていた。いつの間にか、ジャズが気持ち良くなってきていたのだ。

まだ、ソロの部分などはグシャグシャに聞こえていて、何か知らんけど難しいことをやってる感、だったけど、、、 明らかに、ジャズに脳が対応できるようになってきていた。

楽しい気持ちで、していることには、脳が急激に変化して適応していくと聞いたことがある。 ポータブルステレオを所有することが楽しくて、ジャズに適応していったのだろうか。。。

新しいジャンルのサウンドが好きになると、今まで好きだったものが色あせて感じてしまう。

この時代は、、、 家族そろって、テレビの歌番組を見ることが普通であったが、、、 私にとって歌番組はつまらないものになってしまった。

家族の、みんながテレビを囲んでいるときに、、、 私一人は、居間から一番遠い部屋でジャズを聴いていた。

よくある、、、 変わり者の道を歩み始めたのだ。

戦友さんから頂いたLPは3枚に、なっていた。
このころから、、、 私は、本物のジャズ好きの少年に進化していた。

 

Lullaby Of Birdland  バードランドの子守唄 中村八大    

https://www.youtube.com/watch?v=MoXIVo1tA9Y

  

六年生の秋。。。
父が、ジャズのチケットを2枚もらってきた。

演歌などとは違ってジャズは人気がなく、チケットが大量に売れ残ってしまったそうだ。
その売れ残りを、全て、燃料屋が格安で買い取った。
燃料屋は、これをサービスで顧客に配っていたのだが、、、
ただでも、いらないという人が多く、、、それを父がもらってきたのだった。

本当に、、 日本人には、ジャズは合わない。 ジャズ好きは、常に、少数派である。

チケットには、「中村八大 ジャズトリオ」と書いてある。 父は、私と一緒に行ってくれることになった。

大きなホールだった。 だから、空席は多かった。 しかし、私はファンでもなんでもなかったので、そんなことはどうでも良かったのだ。

それよりも、、、 閑散とした広いステージに驚いていた。 私は、ジャズなのだから、グレン・ミラーベニー・グッドマンのような楽団を予想していたのだ。

ところが、開演前で演奏メンバーのいないステージにはグランドピアノとドラムが置いてあるだけだった。

私は父に、「何人で演奏するのかな。。。」
父は、「トリオだから三人だろう。三人組のことをトリオっていうんだよ。」

「え・・・」三人でジャズが出来るのだろうか。。

父が「ピアノとドラムと、、、 あと、何かだろう。」

すると、、、 ステージの右側から、バイオリンがでかくなったみたいなやつを持った人が出てきた。そして、次は、ドラマーが、、、
そして、少しもったいぶってから、中村八大が現れた。

私は、しっくり来なかった。 見た目、その辺の、どこにでもいそうなオッサン達である。 私にとってジャズといったら、ビッグバンドの白人達なのだ。

しっくりこないまま、まわりに合わせて拍手をしていた。

拍手が静まると、挨拶もないまま、いきなり演奏が始まった。 ピアノのソロからだった。

私は、驚いた。 ピアノのソロは、まぎれもなくジャズなのである。

ジャズのライブであるから、当たり前なのであるが、、、  さっきまでの、オッサン達のイメージとの落差が大きすぎるのだ。

特に、ピアノの音が美しすぎる。 小学校のグランドピアノと同じ楽器だとは、到底思えない。

いま思えば、、、 中村八大が、どんな楽器を弾いたとしても、私は、同じように美しく感じたと思うが。。。

それだけ、私の脳はジャズに対応できるようになっていたということだ。

そして、ドラムとウッドベースが入って、サウンドはピアノトリオになった。 私は、この時の感動を今でも忘れていない。

ベースの刻むフォービート。。。 そこにあるのは、紛れもないジャズなのである。 当たり前であるが。。。

このフォービートは、普通、日本人が持っていないものである。

日本人がカウントをとると、、、
「イチ・ニィ・サン・シィ~」となる。
ゆるいのだ。

しかし、白人や黒人は、、、
「イッ・ニッ・サッ・シッ」と、厳しさがある。
彼らの音楽は、ほとんどがこの厳しさを伴っている。

その中でも、ジャズは特別である。 針の先端を付き合わせるほどの厳しさがあるのだ。

だから、ビッグバンドジャズであろうと、トリオであろうとフォービートと呼ばれるのである。

私は、この時、足のかかとで床をトントンやっていた。 カーペットで音がでなかったので、けっこう鋭くやっていた。 私の脳と体は、フォービートを演奏していたのだ。

快感であった。 家で、畳の上でヒザを揺すっていると、貧乏揺すりのようでビート感が出にくいが、椅子に座ってかかとを鋭く床に当ててフォービートをやっていると、複雑なリズムのサウンドも、気持ちよくノリノリになってくる。

日本人は、スローバラードは好きな人が多いが、アップテンポのジャズが馴染まないのは、、、 このビート感なのだと思う。

ジャズという音楽は、このフォービートを、、、 聴く側の「脳」や「からだ」が演奏していることが前提条件なのだと思う。

そして、このフォービートというしっかりした土台の上で、「気持ちよく弾む」。 これがスイングである。

弾み方は、定規で計ったようにきっちり割りきれるように弾むのではない。電卓で計算したら小数点以下2~3桁ぐらいの半端が出るような弾み方である。さらに、曲調によって弾み方の比率が変わる。

こんな理屈はどうでもいいが、、、 私は、このピアノトリオのライブで、初めてスイングの気持ちよさを体験した。 やはり、畳の上ではなく、椅子なのだ。 極論ではあるが。。。

 

Lullaby of Birdland - Andrea Motis Joan Chamorro Quintet & Scott Hamilton  

https://www.youtube.com/watch?v=N7ta17oBv2w

 

また私は、この日、ドラムに強く憧れることになった。

まずは、ハイハットシンバルである。 ドラマーは、二拍目と四拍目のところでペダルを踏む。そうすると、上の合わせシンバルが閉じて、「チャッ」っという音が出る。

バックビートである。 このバックビートを、ドラマーは踏み続けるのだ。

このバックビートも気持ちよかったが、、、 それよりも、ハイハットシンバルのスタンドの構造である。

下のペダルを踏むと、上のシンバルが閉じて音が出る。 操作したところとは違うところが動作する。これは、メカの基本である。そう、ハイハットはメカなのだ。

もしも、この時、グランドピアノの中身が透けて見えていたら、ピアノに憧れたかもしれないが、、、
この時、ピアノは真っ黒で中が見えなかった。

さらに、ドラマーはハイハットでバックビートを強調しながら、右手のスティックは、シンバルレガートをきざんでいる。 シンバルレガートは、しっかりとフォービートをキープしながら、適度に弾んでスイングしているのだ。

さらに、さらに、、、 左のスティックはスネアでスイングしながら、時折、右足でバスドラ、右手のスティックでクラッシュシンバルを同時に、アクセントにしている。

規則性を持った上でバラバラに動く。 これもメカの特徴の一つである。 ドラマーはメカなのだ。

私は、ドラマーに憧れた。

しかし、私なんかにメカのような動きが出来るわけがないという卑屈な思いが支配していたし、、、 そもそも、私のこづかいを一年分貯めても、シンバルスタンドの一本も買えないのだ。

憧れは憧れ。夢のまた夢であった。


その頃、ピッコロは、、、

ピアノ歴5年、ピッコロ歴4年で、、、 祖父のLPコレクションを聴き続けて3年である。
さらに、エリート祖父のレッスンを受けていた。

私の先生は、ジャズのLPレコードだけである。
楽器は、、、 学校で、リコーダーと木琴をテキトーにやっただけである。

ピッコロと私は、スポーツカーと自転車以上の差がついていた。

まあ、この際、ピッコロはどうでもいいが、、、

このライブで、強烈に印象に残ったのは、シンバルの音の美しさであった。

いま考えると、、、 あのドラマーが、ベニヤ板でシンバルレガートを刻んでいたら、ベニヤ板の音を好きになっていたと思う。

演奏する者の技術や感性と、楽器の音の関係は、そういうものだと思う。

もうひとつ印象に残ったのは、、、 ノリの良いサウンドである。

ノリが良いサウンドは、自然に踊りたくなる。

私は、かかとでフォービートを踏みながら、上半身がわずかに踊っていた。

このライブでは、初めから最後までノリノリだったことが、印象的であった。


ここで、また、、、 反対の例が頭に浮かんできた。

踊りながら演奏しているから、サウンドのノリが良くなっている、、、 という強者達がいる。

京都橘である。


次回も、自分の事を書く予定である。

 

2015年11月15日京都橘高校 DAIONセンチュリーパレード(1/2) Kyoto Tachibana S.H.S  

https://www.youtube.com/watch?v=zIDlsHYlMH8

www.youtube.com

2015年11月15日京都橘高校 DAIONセンチュリーパレード(2/2) Kyoto Tachibana S.H.S  

https://www.youtube.com/watch?v=XHrjL2UFpfU

Fly Me To The Moon -- Beegie Adair Trio

https://www.youtube.com/watch?v=HsJavr4AI5M

 

連載 吹奏楽部 MEMORIES 13

吹奏楽の女の子は、、、

小柄で華奢な子が多い。 そして、次に多いタイプがポッチャリである。
これは、女子にかぎらず、男子もある程度はそうだった。

本人達に確認したことがないので、、、 これは、私の偏見かもしれないが、、、
運動に自信がない子が多いのではないか、、、

特に女子が、この傾向にあるように思える。 ピッコロみたいに、馬並みの、、、 あ、失礼。。。 陸上部並みの運動能力の子は珍しい。
たとえば球技などでは、体と体がぶつかり合った時には、小さいほうが不利になる。 また、ポッチャリは、比較的、運動そのものが苦手という子が多い。

また、色白の子が多かった。 マーチングバンドとは言っても、パレードは、年に一回だったので、日に当たる機会が少なく、、、 さらに、パレードの基本練習である「5mを8歩」も、運動部の邪魔にならないように、屋内で床に62.5cmごとにテープを貼ったりして行っていた。だから、日光に当たる機会が少ないのだ。

そして、運動部とちがって、髪が長い子が多かったので、バンド全体をぱっと見ると、バンドの前のほうの木管パートは、色白でロングの黒髪の、可愛い乙女の集団という感じであった。

また、管楽器を吹くので、何かを食べる度に歯みがきをする。 そういう習慣の人達だからか、見た目も清潔感を漂わせていた。

しかし、美人という定義でみると、ばらつきがあった。 パート別のばらつきである。

今でも言われるそうだが、、、
我々のバンドも、都市伝説ならぬ、吹奏楽部伝説で「クラリネットパートには、必ず、美人がいる。」と言われていた。

もちろん、ほかのパートにも美人はいたが。。。
実際に、クラパートの比率が高いのだ。

私が一年生の時のクラリネットパートは、、、
1年生に一人、2年生に二人、3年生に一人、誰もが認める美人がいた。

美人は、ひがみから希望落ちさせられて、クラリネットパートに集まるのだという、もっともらしいウワサがあったが、、、 そうだとすれば、「ひがみ」から、クラパートのほうが拒否してもおかしくないので、これは、つじつまが合わない。

そもそも、我がバンドには、そういうことは起こり得なかった。
歴代の部長は、そのようにバンドが不調和を起こすような、ヒガミやワガママによる行動には、常に、神経質なほどに、強い警戒心を持っていた。

そういう事が、起きた時、小さなことでも躊躇せずにリーダー会議が召集された。

そして、当事者を呼びつけて、、、
部を、やめてしまっても構わないといった勢いで、追求するのだ。
こういう時の幹部達は、容赦しなかった。 女子が泣いても、手を弛めることはなかった。

先輩が後輩に、技術指導で厳しくすることはかまわなかったが、ほんの少しでもイジメの兆候が見えただけで、激しい対応がとられた。
竹の子は、あっという間に竹になる。 だから、手遅れにならないように、、、 竹の子が、地面から顔を出した瞬間に掘り出してしまうのだ。
イジメ問題を起こしている、学校の校長に、彼女達の爪の垢を煎じて飲ませてあげたい。

私が一年生の時には、、、
疑われただけで、ぼろぼろになるまで追求された、パートリーダーがいた。
疑いは晴れたが、「仕方がなかったの、理解して。」
それだけだった。

はっきり言って、やりすぎの面はあったので、このような失敗はあったが、少なくとも、、、
普段は何もしないで、事が起きたら隠蔽するような姿勢ではなかった。

中学生である。失敗はあるだろう。
彼女達は、吹奏楽部という宝物を守ろうと必死なのだ。

しかし、このことによって、、、 私の在部中は、二年生や三年生によるトラブルは、まったくなかった。
強硬な姿勢が、抑止力になっていたのだ。

Swing de Barrio (Swingtrotters)
https://www.youtube.com/watch?v=-oEgqfPlC78

話が、あまりにもシビアなものになってしまったので、また、ここで「美人」の話に戻そうと思う。

私が一年生の時に、、、 吹奏楽部の外からも注目される美人が二人いた。
二人とも、クラの二年生だった。 一年生や三年生にも綺麗な子はいたが、部外からはこの二人が目立っていたようだ。

それは、いつも二人が一緒にいたからだと思う。 二人は、とても仲良しだったのだ。

一人は、和泉雅子という映画女優が、デビューしたばかりの頃に似ていたので、和泉雅子と同じように「マコ」と呼ばれていた。 彼女は、清楚な雰囲気でさわやかな美人だった。
仲良しのもう一人は、ポッチャリ系美人であったが、デビュー当時の山本リンダに似ている、ちょっと派手な感じの美人だったので、リンダと呼ばれていた。

この時期のフルートパートは、自分のピアノを持っているような、お嬢様達だったが、、、
クラパートは、庶民的な家庭の子が多かった。
リンダとマコも、、、 商店街の裏通りの、古い住宅地で暮らしていた。東京で言えば、下町のような風情の地域である。

二人は、ご近所さんで幼馴染みである。

どのくらい仲が良かったかというと、、、
どちらかがラブレターをもらったり、告白された時には、相棒が断りに行く。
うわさでは、ラブレターの封を切らずに返していたらしい。
いつも、例外なく、こんな調子だったので、中学の三年間を通して、二人とも彼氏はいなかった。

当然、、、
もしかしてレズなのではないか、と疑われていた。
後で、そうではなかったことが分かるのであるが、その辺の、恋愛に関することは、、、 このブログでは、扱わない方針なので、ここで、やめておく。

彼女達にしてみれば、まわりの男子達は、子供っぽく見えてしまって、そんな気にはなれなかっただけなんだろう。

また、仲が良かったエピソードは、、、
月曜日~土曜日は、、、 リンダがマコの、昼食のお弁当を作っていた。

リンダの母親は、早く亡くなっていたので、小学生の三人の妹達の母親代わりをしていた。
リンダは、毎朝、早起きをして、家族の洗濯や朝食の支度をして、自分と父親のお弁当も作っていたので、あと一つぐらいお弁当を作っても、手間は同じようなものだと、マコの分も作っていたのだ。

マコは、、、 平日のお礼だと言って、日曜日には、リンダの家族の五人分の昼食のお弁当を作った。

これだけでも、大変だと思うが、、、
それだけではない。
母親にも、平日のお礼だと、、、 家族の四人分の朝食と、昼食の四人分のお弁当を作った。
合計九人分のお弁当+四人分の朝食である。 これだけの事を、日曜日は早起きをして、部活に行く前にやってのけるのだ。

マコは、リンダに気遣いをするだけではなくて、母親にも気配りをしていた。 まったく、半端な気配りではない。

あ、そうだ、、、 マコは、二年生の秋に、部長になった。 マコが、「気配りの部長」なのである。

マコは、この、九人分のお弁当づくりを、毎週やっていたのだ。 驚きである。

このようなことを一年中やっていた二人が、揃ってレベルの高い進学高校に合格したのだから、アッパレである。
二人とも、時間とエネルギーを無駄に使わない、努力家だったのだろう。

しかし、リフレッシュは誰にでも必要である。

この二人のリフレッシュ法は、吹奏楽であった。
その証拠に、、、 この二人は、卒部した後も、毎週、日曜日の10時頃に音楽室にあらわれた。
卒部した、次の日曜日には、「受験勉強の気分転換。。」とか言って、マコはクラリネットを、リンダはサックスを吹いていた。

二人は、在部中、部のクラリネットを使っていた。個人的に楽器を持っていなかったので、部の楽器を借りて、「気分転換」をしているのだ。

また、この時期の10時頃からというのは、絶妙な時間設定である。
音楽室が空になる時間帯なのだ。

この時期の吹奏楽部は、三年生が卒部して、態勢を建て直すのに忙しい。 指揮者は、各パートをまわって状態を確認しなければならない。
日曜日の10時は、パート練習が始まる時間なのだ。 だから、指揮者の私も、スコアやLPレコードを急いで片付けて、音楽室を飛び出していく。

そして、12時の昼休みに音楽室に戻ると、もう、マコもリンダもいなかった。
「太陽」の部長から、二人が「気分転換」に来るということを、聞いていなければ、気が付くことがなかったかもしれない。

実は、この「絶妙な時間帯」と、忍者のように痕跡も残さずに消えてしまうことには意味があったのだ。

新体制を築こうとしている時に、三年生がウロウロしていたら紛らわしくてしかたがない。
ましてや、影響力の大きい部長などの元幹部は、、、 居てはダメなのだ。

しかし、三月までの四ヶ月間に、私が遭遇したのは一回だけだった。 しかも、体育館で。。。
毎週、日曜日に「気分転換」で、二時間はいたはずなのだが、、、
二人は、「勝手知ったる・・・」である。 時間を変え、場所を変え、、、 多くの部員が最後まで、一度も遭遇することがなかった。

Tuba Skinny - Jubilee Stomp - Royal Street II 2018
https://www.youtube.com/watch?v=_ZdMxFiUf9Q

一月の中旬だったと思うが、、、
クラのパートリーダーから部長に報告があった。

長期保管コーナーの、すべてのクラリネットの、手入れの日付が新しくなっていると。。。
長期コーナーの楽器のケースには、テープが貼られていて、最後に行った、手入れの日付が記入されている。

クラリネットは、木で造られているので、月に一回程度、湿度があまり低くない日を選んで、ケースのふたを開けて、風を通すようにしていた。その際に、手入れの日付に気がついたのだ。

この二か月足らずの間に、保管コーナーの全てのクラリネットが手入れをされていたのだ。
さらに、一部の消耗部品が新しいものと交換されているという報告もあった。

吹奏楽部の予算は少なかったので、長期保管楽器の消耗部品を替えることはなかった。
いつも、使うときになって、慌てて替えることが多い。
時には、長期保管の楽器から、消耗部品を外して使うこともあった。

すぐに部長が、サックスパートに調べさせると、サックスのほうも同様であった。

二人の気づかいなのだろう。。

長期コーナーの楽器は、前回の手入れの日付から六ヶ月経過すると、使用していなくても分解して、丁寧に手入れを行う。
二人は、日付の古いものから順番に選んで、「気分転換」に使うと、30分かけて、分解・手入れをやって、長期コーナーに返していたのだ。

消耗部品の交換は、使ってみて調子の悪いものの部品を、二人のおこづかいで購入したものだった。

部長が、テノールに報告すると、、、
「このことは、幹部だけで内密に。。。 最後に、一度だけお礼を言えばいい。それまでは、そっと、しておくように。」
消耗部品の購入については、、、
本来、教師は、悪い前例をつくらないように、、、 この場合は、すぐに対策をとるべきなのだが、、、

テノールは、すぐに対策をとらなかった。
三月の末に、マコの両親に、消耗部品代を現金で渡してお礼を言ってきた。

このお金は、テノールのポケットマネーである。
気を使わずに「気分転換」をできるようにという、テノールの心遣いであったが、、、

いつも、すぐに感情的になるテノールであったが、こういう人は情に流されやすい。 テノールらしいやり方だとも言える。

"SING, SING, SING" BY BENNY GOODMAN
https://www.youtube.com/watch?v=r2S1I_ien6A

リンダは、「気分転換」の時は、いつもアルトサックスを吹いていた。

彼女は、サックスに憧れて吹奏楽部に入ったが、、 第二希望のクラリネットに落とされていた。
高校では、サックスを吹きたいと思っていたので、「気分転換」を兼ねて、サックスに慣れておきたいと考えていたのだ。

サックスという楽器は難易度の高い楽器だ。
テキトーに吹いても音が出てしまうので、普通は、まともな音に修正するのに、長期の練習が必要になる。

しかし、リンダは週に一度の「気分転換」だけで、アルトサックスの、まともな音が出せるようになってしまった。
クラリネットの修行が、ここでも生きているのだろうか。

そして、三月にはテナーサックスを吹いていた。

この三月である。 二人と私が遭遇したのは。。。

体育館の近くを通りかかったとき、、、 体育館のステージの袖の辺りから、「sing sing sing」が聞こえてきた。
これは、マコとリンダに違いないと思ったので、ステージの袖に行ってみた。

やはり二人だった。

このセッションに参加しないなんて考えられない。
私は、長テーブルと床をドラムにして、セッションに加わった。 面白いセッションだった。

管楽器が二人しかいないので、外のパートの分まで吹いている。 聞いていると、元のパートが何だったか分からなくなってくる。
かなり強引だ。 とにかく、二人とも目立つ部分を吹いているのだ。
クラのソロは、ベニー・グッドマンのほぼコピーであった。

このハチャメチャな、出来損ないみたいな「sing」も、ノリが良かったので、気持ちよくやれた。

しかし、このセッションが彼女達との、最初で最後のセッションになった。

Ksenija Sidorova: V. Monti - Csárdás (ZDF Klassik live im Club, 16-4-2017) 1080p, HD
https://www.youtube.com/watch?v=XIJM2kZgYiI

GRACE KELLY GO TiME: Fish & Chips Feat. Leo P
https://www.youtube.com/watch?v=C0fj6Bwrp6M

連載 吹奏楽部 MEMORIES 12

 

顧問のテノールは、、、 生徒の自主性を、最優先するという哲学をもっていた。

 

部活の運営はもちろん、楽器や楽譜の購入まで、部長と副部長に任せていた。

 

だから、コンクールに関すること以外は、、、 口を挟まないどころか、全体練習やパート練習にも、テノールが現れることはなかった。

 

しかし、吹奏楽部に何かあったときは、すぐ対応できるように、、、 出来るだけ、事務仕事をしながら職員室に待機していた。

 

日曜祝日でも、部長が職員室に鍵を借りにいくと、必ず、テノールの方が先に出勤していた。 そして、 簡単なミーティングが行われた。また、帰りに鍵を返しにいったときに、必要があれば、部長が報告等を行っていた。

 

御家族には、本当に、頭が下がる。 休日勤務手当ても、ほとんど貰っていなかったはずだ。

 

部活は、教育の一環と言われているが、教師の善意、、、 いや、犠牲の上に成り立っているのが実態だった。 まったく、制度的に無理があるのだ。

 

私たちの、五十年前の状況と今とでは、基本的には変わっていないように見える。 なぜ、改善されないのだろう。。。

 

Cobalt Sky March コバルトの空 - 海上自衛隊東京音楽隊   

私が中学生時代で、最も、演奏回数が多かった曲。一年生の時にシンバルから始まって、バスドラ、スネア、二年生の冬から指揮。パレードではスネア。

https://www.youtube.com/watch?v=mAMUkECRtzA

 

これは、 当時の私たちが、まったく知らなかったことであるが、、、

 

PTA総会の前の職員会議で、教頭から、

「PTAの役員の中から、、、吹奏楽部は、ほかの中学校のように、コンクールを中心にした活動に切り替えて、マーチングの活動は控えた方が良いのではないかという意見が出されている。」

という発言があったそうだ。

 

ほかの中学校みたいに、座奏中心にしろということだ。

 

人と違うことをすると、違和感をもたれる。 よくあることだ。

 

今では、マーチングが盛んになってきているが、当時は座奏のコンクールしかなかった。

だから、マーチングを取るかコンクールを取るかという議論になってしまう。

 

テノールは、、、 マーチングよりコンクールを中心にしたいと考えている部員など、一人もいないことを把握していたので、、、

 

「地域の人達のために、たとえ、一年に一度でも、マーチングを続けたいという生徒達の自主性は尊重しなければならない。」と押しきった。

 

「地域の人達」を、おかずにしているような気がしないでもないが、まぁ、大人の会話、、、ということである。

 

教頭は、、、 PTA総会で、直接、顧問のほうから説明してほしい、、、ということで、職員会議をおさめた。

 

PTA総会では、、、

「生徒の自主性を尊重することは、校長も重視していることであって、地域のために尽くしたいという生徒の心を大切にしていきたい。」と、説得してしまった。

 

「校長の、自主性を尊重」という、建前を勝手に使うとは、かなり面の皮が厚いが、、、 「地域に尽したい」という言い方はすごい。

 

これに反対したら、地域と子供達の敵になってしまう。

 

ものは言い様というが、、、 テノールは、ディベートの天才である。

 

このようにして、我々はいつもテノールに守られていた。

 

しかし、何でもそうだが、、、 同じことがいつまでも、永遠に続くなんてことはない。

 

エル・キャピタン(J.P.スーザ):陸上自衛隊中央音楽隊 HD

https://www.youtube.com/watch?v=4AQEN42DHVI

 

それは、、、

私が卒業して、、、 

 

ピッコロの学年も卒業した、翌年におきた。

 

テノールが人事異動で、ほかの中学校に転任したのだ。

 

普通は、次の顧問に申し送り、引き継ぎをするのだが、、、

次の顧問は、主婦先生であった。

 

テノールと、同じことができるわけがない。

 

校長や教頭も、主婦先生を顧問にするしかなかったのだろう。

 

このことによって、、、 

我が吹奏楽部に、「大変革」がおきた。

 

ひとつは、、、

また、座奏バンドに方向転換しろという論議が蒸し返されたのである。

 

顧問は、部員達の気持ちは知った上で、座奏バンドに方向転換した。

 

こんな事になってしまったのは、それなりの事情と経緯があったのだ。

 

このころは、部員数が最も多かった時期で、楽器が不足していた。

 

コンクールを見に行ったPTAの役員は、我校の一年生たちが、メッキが剥がれたり、ベコベコにへこんだりしている、修理出来ていない楽器を使っているのを見て、大変、心を痛めたのだそうだ。

 

コンクールの賞を取ったことのない、我が吹奏楽部は、PTA予算を抑え込まれていたのだ。

 

そして、このPTA役員は、ほかの学校と、使っている楽器のタイプが違うことも気がついた。

 

一番、目を引いたのは、マーチング用のスーザフォンだった。 よそのバンドは、コンサート用のチューバを使っていた。

 

一目みて、スーザフォンのほうが安っぽく見える。

 

そして、ホルンである。

我々のバンドは、重さも軽くて、少し輪郭のはっきりした音のメロフォンを使っていた。 マーチングには、都合が良いのだ。

 

しかし、コンクールで、ほかの学校はフレンチホルンを使うことが普通であった。

 

メロフォンとフレンチホルンは、形は似ているが、素人目にみても高級感がまったく違う。

 

PTA役員は、、、 マーチングのせいで、子供たちが恥ずかしく惨めな思いをしているのだと、思い込んでしまったようだ。

 

赴任したばかりの顧問は、責められた。

「子供たちが、可哀想ではないか!」という論法で。。。

 

顧問は、困ってしまって、、、

コンサート用の、高価な楽器が買ってもらえる、稀なチャンスなのだと、部員達を説得しようとしたが、、、 こんな、ずれた理屈で納得するわけがない。

 

最後には、、、

「マーチングはやめなさい。お願いだから。。。」と泣き出してしまったそうだ。

 

顧問が変わると、こんなにも違ってしまうものなのだ。

 

きっと、テノールだったら、、、

部員達が知らないうちに、、、

マーチングを続けることを、学校とPTAに納得させた上で、コンサート用の楽器も確保したに違いない。

 

不本意ではあったが、、、

我が吹奏楽部は、座奏に進路変更する事と引き換えに、「コンサート楽器導入十ヶ年計画」を手に入れたのである。

 

しかし、ふたつめの「大変革」によって、コンサート楽器導入計画は、四年で完了してしまった。

 

ふたつめの大変革とは、、、

日曜祝日の練習は、主婦先生には責任が持てないということで、なくなってしまったことだ。

 

なくなったこと自体は、致命的ではなかったのだが、、、

 

部員達は、楽器の持ち出し許可を取って、日曜祝日は持ち帰って練習するようになった。

 

吹奏楽の楽器は、大きな音がするものばかりだ。 住宅事情の許される家は少ない。

 

男子は山のなかに行って練習したり、女子は押入れの中に、扇風機を持ち込んで練習した。

 

しかし、この熱意が裏目に出てしまったのだ。

 

吹奏楽部に入ると、山の中や押入れの中で、練習させられると、ウワサが広まってしまった。

 

そして、新入部員が、激減してしまったのだ。

 

三年後には、、、 楽器倉庫の70%が、長期保管コーナーになってしまったそうだ。

 

人員が減ってしまったので、コンサート用の楽器も、四年で揃ってしまったということだ。

 

可哀想だったのは、部員だけではなかった。

 

顧問の主婦先生は、音大のピアノ科の出身で、吹奏楽の経験がなかった。吹奏楽部の顧問の経験もなかった。

 

要するに、吹奏楽のことは聞きかじった程度で、何も分からないのだ。

 

それでいて、初めての中学校に来たとたんに、顧問をやらされて、、、

そして、PTAから責められて、、、

家庭の主婦でもあり、、、

 

そして、、、 吹奏楽部の規模が、三年間で三分の一に激減してしまったのは、顧問が変わったからだ。 と、評価された。

 

針のムシロに座らされているような気分だっただろう。

 

制度的に改善されない限り、このようなことは繰り返されるのだと思う。

 

その後、少子化も進み、吹奏楽部の規模が元に戻ることはなかった。

 

 バーデンヴァイラー行進曲(G.フュルスト):陸上自衛隊中央音楽隊 HD

私が、最も、好きな行進曲。この指揮者だったら、ぜひシンバルをやりたい。チャイナシンバルを、思い切り鳴らせという指揮者はめったにいないだろう。

 

https://www.youtube.com/watch?v=fGq1rrUkxFQ

 

私が卒業して二十年後・・・

 

近所の中学生に声をかけられた。

「おじさんは、吹奏楽やってたんだってね。」

「ああ、二十年も前のことだよ。吹奏楽部なのか?」

トロンボーンやってます。 前から聞きたいと思ってたんだけど、楽器倉庫の奥に古いマーチングスネアがあるんだけど、おじさんの頃は、マーチングもやったんですか?」

「懐かしいな。。。 俺が使ってたスネアだと思うよ。 マーチングもやったのではなくて、マーチングバンドだったんだよ。」

「そうなんだ! 顧問の先生が、大学でマーチングのパーカッションだったんですよ。 これを聞いたら驚くと思う。」

 

中学生はうれしそうだった。

 

たった二十年で、そんなことも忘れられてしまうのだ。。。

中学生の部活は、新陳代謝が激しいということだ。

 

今は、、、 五十年もたっている。

 

我々の、痕跡は、、、 かけらも残っていないだろう。。

連載 吹奏楽部 MEMORIES 11


 

私にとっては、最後になる文化祭。。。

残すイベントは、文化祭だけになった。

 

文化祭の準備は、夏休みから計画的に少しずつ行ってきた。 他のイベントの合間に、地道に努力をしてきたのだ。

 

しかし、毎年の事ではあるが、、、 本当に、こんな状態で間に合うのだろうかと心配になってしまう。

 

文化祭で初めてチャレンジする曲などは、、、 余裕があるのが、パーカスとクラとフルートだけで、ほかのパートはグダグダある。 曲によっては、全体練習で音を出せないパートもある。

 

指揮者の私としては、、、 全体の音が聞けないというのでは、どうにもならない。

どう修正するのか、どうつくるのかなんて、まったく見えてこない。

 

本番まで、あと一ヶ月しかない。

しかし、ここで、私がパート練習に押しかけて、あれこれ言ったところで、、、 良くないプレッシャーになるだけで、逆効果になってしまう。

 

どのパートも、一所懸命、誠実にやっているのだ。

 

わたしは私で、、、 役に立つかどうか分からないが、スコアの理解を、1ミリでも深めておくという程度のことしか出来ない。

 

DANNY BOY _ James Galway

https://www.youtube.com/watch?v=xv1rI1kFvwA

www.youtube.com

 

そんな頃の日曜日、、、

一人音楽室のピアノの前で、スコアをにらんでいた。

 

スコアを、一見しただけでサウンドが湧き上がってくるような天才的な人はいいが、私のような凡才は、、、 音をひとつひとつ、ピアノで拾っていかなければならない。

 

だから、今、大したことではない部分なのに、悪戦苦闘している。

 

その時、「こんにちわ~」

いつか、どこかで、聞いたことのある声が。。。

 

入り口の方を振り返って見ると、、、

 

憧れの制服!

 

憧れと言っても、女子の制服である。私が着たくて憧れているわけではない。

 

4年連続で、吹奏楽関東大会に進出している高校の制服である。 私が、目指している高校だ。

私が一年生の時に、三年生でフルートだったOGである。

そして、「機関銃トーク」である。

 

「お久しぶり。 コンダクターだって?」

高校では、指揮者のことをコンダクターと言うらしい。

「シンバルの子が、いまじゃコンダクターかぁ~。もう、二年たつものね。シンバルくるくる回して、かっこ良かったよね。今、部長、誰?」

やっと、私がしゃべる順番になった。

「太陽です。」

「あの子かぁ~。明るい子だからね~。定期演奏会のチケット持ってきたの。あなたも来てね。クラ、どこで、やってる?」

「3Aです。」

「ありがと。」

 

一緒にいるだけで忙しくなる。

 

ピッコロのケースを持っていた。 いまは、ピッコロ担当なのであろう。

 

私は、機関銃で攻撃された心を落ち着かせて、スコアに集中した。

が、集中できない。。。

しかたなく、目をつむって。。。

 

落ち着いてきた。集中できそうだ、、、

落ち着いた途端に、、、

ピッコロのケース!

そうだ、先輩はピッコロを持ってきたんだ!

 

落ち着いている場合ではない。

東レベルの、ピッコロを聞けるかもしれない。 3Aに急いだ。

 

私が、あの高校に入れば、三年生と一年生の関係になる。 少しでも、親しくしておいた方が良いし。。。

 

3Aの教室を覗くと、、、 やはり、もう先輩はいない。 私は、フルートパートの2Bに向かった。 

 

James Galway - Méditation from Thaïs - Jules Massenet

https://www.youtube.com/watch?v=z6w5jNWm034

 

階段をかけ下りて2Bに入ると、、、

すでに、演奏している。

文化祭でやる予定のフルート四重奏である。もう、終わるところだ。

 

終ると、先輩が私に「ちょうど、良かった。あなたも聞いててね。じゃ、頭から12小節だけね。」

 

先輩は、すでにフルートパートを仕切っている。

 

ピッコロが先輩と交代して。。。

 

フルート四重奏が始まった。

piccolo,  flute1st,  2nd,  3rd

 

今年のフルートパートは、中々のものだ。完成度の高い仕上がりである。

 

しかし、piccoloを吹いている先輩は、初見で吹いているのだと思う。 さすがは、関東レベルである。 なんの遜色もない。

 

12小節目までいくと、、、

「じゃ、交代。今度は、あなた。」

 

ピッコロが交代である。

「ちゃんと、聞いててよ。」と私に。。

 

「頭から、12小節!  ワン ツー スリー はい!」

 

四人が、音を出したとたん。

 

あ。 違う!

 

こっちの方が、ハーモニーが美しい!

透明感がある。。。

 

12小節目が終わると、、、

先輩が、「ね。違うでしよ。さっき、ワンテイクやって気が付いたのよ。12小節目までのハーモニーが違うのよ。あなた、どう思う?」

 

「透明感があります。」

 

「私が吹いている方が濁ってる?」

 

「濁ってることはないです。。。 綺麗なんですけど、普通です。」

 

先輩が、「あなた達、どう思う?」

 

パートリーダーが「自分が吹いているせいか、違いが分かりません。」

ピッコロも、「いつも、なんとなく吹いているので、分かりません。」

 

 

「piccoloだけ、頭の音を出して。3拍伸ばして。」

そして、私に「聞いててよ。比較するから。」

 

piccoloの二人が、交互に頭の音を吹いた。

 

音質の、違いは感じない。ピッチも同じで違いはない。

 

先輩は、「何が違うんだろう。。。」

研究者の目になっている。

 

「もう一度、12小節だけ。。。 あなた達四人で吹いて。」

 

徹底的に追求するつもりらしい。。。

 

「ワン ツー スリー フォー!」

 

そして、12小節が終わると、、、

 

「分かった! あなたが、少し低い! 頭のところ」

 

ピッコロを指差した。そして、、、 次に1stフルートを指差して、、、

「あなたも、ほんの少し高い。」

 

「無意識でやってるんだね。口で、ピッチを調節してるんだ。自覚してないでしょ。 でも、どうして、ずれてると綺麗なんだろ?」

 

私は、「顧問のテノールに聞いてきます。」

職員室に向かった。

 

テノールはいなかった。

肝心な時にいない。。。

 

フルートパートの2Bに戻ると、、、 先輩はいなかった。 逃げるように、帰ってしまったそうだ。

 

Mathilde Calderini - Carmen Fantasy - Bizet/Borne

https://www.youtube.com/watch?v=PWqOdGaIUiU

 

パートリーダーが、「先輩が、分かったら教えてくれるって。」

ピッコロも「お祖父様に聞いてみます。」

 

しかし、なぜ逃げるように帰ったのか。顧問のテノールに、何か後ろめたいことがあるのだろうか。

 

あッ! そうか。。。

先輩は密偵だったのだ。

 

ピッコロの評判を聞いて、彼女の値踏みに来たに違いない。

定期演奏会のチケットを口実にして。。

 

そもそも、定期演奏会の準備で忙しいときに、、、 フルートパートで遊んでいくなんて、不自然極まりない。

 

実は、後で分かったことだが、、、 注目されていたのは、ピッコロ一人ではなく、フルートパートの全員の四人であった。

 

この年のフルートパートは、それだけ優秀だったのだ。

 

それだけ凄かったということを、気付かなかった私はボンクラ指揮者ということなんだろう。

 

翌日。。。

 

あの透明感が解明した。

 

パートリーダーが先輩に教えてもらった内容と、ピッコロの祖父の話は、同じものだった。

 

「管楽器の場合は、普通の和音より、 和音を構成している音をほんの少し、高くしたり低くした方が、ハーモニーの響きが美しくなることが多い。

アンサンブルのレッスンを続けていくうちに、自然にそうなっていくということは、基礎的な力がしっかりしているということだ。」

 

先輩が、急に飛び入りでやっても、同じようになるわけがなかったのだ。

 

顧問のテノールに行き合ったので、「透明感」の話をした。 すると、、、

「あたりまえだろう。そんなことも知らなかったのか。。。」

中学生がそんなこと知ってるわけがないじゃネーカ!と、ムカついたが。。。

 

テノールにしてみれば、最初に相談されなかったことで、、、 先に、ムカついていたのだろう。

 

しかし、私の身近でさえ、、、 「なんとなく」、「無意識」に透明感のある美しいハーモニーを奏でる人たちと、、、 そのわずかなピッチの高さを感じとって分析できる人がいる。

 

私の目指す高校の吹奏楽部は、そんな人達ばかりなのだろうか。。。

そうだとしたら、、、 私などが通用する世界なのだろうか。

 

一抹の不安がよぎった!

 

翌日には、そんなことは忘れていたが。。。

 

結局、自分がその高校に入ってみたら、半分以上が、私と同じような凡才だった。

 

我々のように才能のない者達が、努力と根性で全国の壁の手前まで行くのだ。

 

全国の壁を越えるもの達は、、、 才能のある子を集めた学校。

 

そういう、学校はともかく。。。

この、才能のある子達は、応援してあげたくなる。

 

才能は、その子を取り巻く人達の、愛情と努力によって育まれる。 場合によって、まわりは犠牲を払うこともある。

 

本人も、小さな頃から努力を続けてきた。普通の子なら我慢しなくても良いことを我慢して、ほかのやりたいことも切り捨てて、才能を伸ばしてきた。

 

私のように、幼少期をボーッと過ごしてきた者とは違うのだ。

 

彼等には、全国で活躍してほしいと思う。

エリート達に、エールを送りたい!

 

しかし、ふと例外が頭に浮かんできた。

 

才能のない子達が集まって、素晴らしく物凄いことを成し遂げている学校がある。

 

マーチングの方であるが、、、

京都橘高校である。

 

全国どころではない。 世界を楽しませている!

 

校風が、それを可能にしているのだろうが、、、 本人達の、努力と根性は称賛に値する。 もちろん、まわりを取り巻く人達も。。。

 

2017年 京都橘高等学校吹奏楽

https://www.youtube.com/watch?v=toGxAWtWIM0

www.youtube.com